ロシア革命を逃れ、広島へたどりついたというパルチコフさん。爆心地から2.5キロの牛田旭で被爆しました。

壊れた家からバイオリンを探し出したといいます。戦後は一家でアメリカへ。パルチコフさんが亡くなった後、1986年に娘のカレリアさんが遺品のバイオリンを広島女学校へ寄贈しました。

3か月かけて修復し、2012年以降、50回を超えるコンサートで貸し出されています。

原爆の日(8月6日)を6日後に控えた礼拝では、およそ80人の信徒に被爆バイオリンが紹介されました。

広島流川教会 向井希夫牧師
「倒れた家屋の中から取り出したバイオリンが今回のものです。彼ら家族の被爆地での日々はどれくらい不安と孤独の中にあったことでしょう。このバイオリンの価値、演奏される意味は、被爆を経験した歴史をわたしたちが忘れることなく、語り伝えることにある。特にきょうは、このあと、被爆バイオリンの奉献演奏が行われます」

バイオリニスト 栗田智子さん
「祖父やおばから被爆の体験も聞いていますし、自分にとって身近な人たちが亡くなっていくというのが戦争だから。本当にそれは悲しいことで絶対いけないことだと思います」

聴いた人たち
「被爆の日が近い日に追悼しながら聞くことができて感動しました」
「今までで一番きれいな音色でした。栗田さんのすごい腕前が出てきて」
「音を聴きながら100年前に(パルチコフ)先生が弾かれたであろうこと、そして今のウクライナのこと。ちょっと涙が出そうでした」

広島流川教会 向井希夫牧師
「2度と繰り返さないために平和を作り出していく1歩を自分たちが歩み出していかないといけないんだということをみなさんと一緒に祈ることができたと思います」

バイオリニスト 栗田智子さん
「残ってくれてありがとう。楽器が平和への道に導いてくれたらいいなと思いますね」