プロ・アマ問わないマンガ描きたちが自主出版した本を発表・販売する「コミティア」。1回あたりの来場者数は2万人前後と”漫画の祭典”のようなイベントに参加した77歳の漫画家がいます。なぜベテラン漫画家がコミティアを挑戦の場に選んだのでしょうか。
沖縄戦を50年書き続けてきた漫画家・新里堅進さん

年季の入った画材。デビュー50周年をむかえた漫画家の新里堅進さんです。緻密な筆致で、一貫して沖縄戦を描き続けてきました。
(新作「こんなはなしをきいた」より)
『負傷兵の群れ ああこれが現実か』
『野戦病院はとっくにパンクしているのだ』
漫画家 新里堅進さん
「戦争体験者が亡くなっていくし、僕はこういう形でバトンタッチしていかなくちゃいけないなと。だから、知ってもらいたいという気持ち。特に若い人たちにね」

戦場で無念の死を遂げた人たち、生き残った人たちの代弁者としてペンを握り続ける堅進さん。77歳となる今年、表現の場を県外に広げたいと、クラウドファンディングに挑戦すると、88万円もの支援が寄せられました。
県外進出の第一歩として選んだのが、東京で開かれる自主制作漫画の展示即売会「コミティア」です。

来年で設立40周年をむかえる「コミティア」は、オリジナル作品のみを対象としていて、現在はプロで活躍する多くの作家が、デビュー前に研鑽を積んだ場所としても知られています。今回は4200サークルが出展しました。
堅進さんのブースを訪ねると…
新里堅進さん「僕だけでしょ、車いすは?」
スタッフ「おられました、お客さんで」
上京直前まで執筆活動に没頭するあまり、持病の坐骨神経痛が悪化。急遽車いすで臨んでいました。
全国にむけて出品した新作は、鹿児島出身の元日本兵の手記をもとにした作品です。やんばるに展開した日本軍が、住民をスパイではないかと疑い、捕らえた出来事について、日本兵と住民、それぞれの証言資料や記録から実像に迫りました。