先月、沖縄に対するヘイトスピーチの解消を目指して議論を深めるフォーラムが那覇市で開かれました。
その登壇者の一人が「ニュース女子」訴訟などを通して、沖縄ヘイトにもあらがってきた辛淑玉さんです。
壇上で沖縄ヘイトにNOを突きつける、辛さんの言葉と共に、背景にあった闘いを見つめました。

先月開かれたフォーラム「沖縄ヘイトにあらがう」。

安田浩一さん
「これは私が直接撮ってきた写真ですが、いわゆる建白書デモ。那覇市長の翁長さんを先頭にデモ行進をしている時に出てきた。日の丸の旗を掲げて”売国奴”という言葉を投げかけた。こうした風景が連綿と続いているわけです」

有識者やジャーナリストなどが登壇し、取材や生活の中で目の当たりにした沖縄ヘイトについて話し、解消に向け議論をしました。

登壇者のひとりが在日コリアン3世の辛淑玉さん。自らの出自に向けられた差別と闘ってきました。一方で、沖縄の平和運動家・阿波根昌鴻さんとの出会いがきっかけで、18歳ごろから沖縄の基地反対運動にも力を注いできました。

そんな辛さんが”沖縄ヘイト”にあらがった象徴的な出来事がいわゆる、ニュース女子訴訟でした。

辛淑玉さん
「私と沖縄でその人生をかけて、戦争は嫌だと思って声を上げている人たちを侮辱しました」

2017年1月、TOKYOMXのテレビ番組「ニュース女子」は東村高江のヘリパッド建設に対する抗議行動にクローズアップして番組を展開。

「基地反対派が救急車を止めた」「カメラを向けると狂暴化」などと放送します。裏付けのない”デマ”に沖縄に対するヘイトだと非難が集まりました。さらに、辛さんについて言及し、「反対運動を先導する黒幕の正体は?」などのテロップを流しました。

辛さんは旧DHCテレビジョンなどに対し裁判を提起。ことし最高裁は制作会社側の上告を棄却。旧DHCテレビに対し、550万円の賠償命令を言い渡しました。

およそ5年間の裁判を経て。ことし5月。

辛さんは裁判の報告も兼ねて、基地反対運動を共にした仲間の元を訪れました。

稲葉博さん
「まぁ辛淑玉さんも(裁判は)長くて長くて長かったといっているけど、本当にそうだと思うなぁ」

気の許せる仲間の前で、気持ちも緩んで。辛さんの口を突いて出たのは、裁判当初から現在も受けている”嫌がらせ”でした。

辛淑玉さん
「あれも付けたのね、監視カメラも。そしたら監視カメラが届かない所の車のホイールをね、壊して、後ろからテープで貼っておいて。ちょっと走ったら飛ぶようにしていたわけ」

稲葉博さん
「犯罪じゃないか」

辛淑玉さん
「で、私、朝鮮人の友達というか、(友だちの)親がね、辛さんの様にならないでといって。どんどん離れていくんだよね」

身の危険を感じて。一時はドイツに拠点を移したほどだったといいます。

(稲葉さんと辛さんのやりとり)
「裁判をやろうとした時に、沖縄に(助けを)求めたの?」
「求めてない」
「求めてないでしょ?」
「私よりみんな泣いて、私より大変だった人たちのところに、泣いて帰っちゃいけないと思うし。やっぱり思いも浮かばなかった」

ヘイトの当事者である沖縄の人には頼らない。それでも辛さんが裁判を闘い抜くことが出来たのはー

辛淑玉さん
「私自身の支えになったのは、沖縄がずっと闘い続けて来てくれたこと」

およそ5年にも及ぶ裁判を支えたのは、番組放送時から変わらず、闘い続ける沖縄の人たちの姿でした。

この日の日中、久しぶりに訪ねた高江にも。そして辺野古にも。アメリカ軍基地に反対する市民の姿がありました。

辛淑玉さん
「私としては、あの闘いが終わって。皆が無かったことみたいな形になったら、私はどうしたらいいか分からなかったよね。ここには問題があるんだ、と言い続けてくれたこと。それは誰よりも大きな力だった」

先月のフォーラム。登壇した辛さんは、基地反対を叫ぶ市民に大阪府警が放った土人発言を引き合いに、警鐘を鳴らします。

辛淑玉さん
「ゲート前の土人発言とは何なのか。日本の植民地として日本の犠牲になれ。それは当たり前だろうと。植民地の中にいろと言っている。この社会は何をするのか。沖縄はもう一度沖縄戦をやることになります。問われているのは私を含めて私たちです」

辛さんがニュース女子訴訟で示したもの。それは沖縄ヘイトがもたらす最悪の結末を回避するためのひとつの道しるべです。

【記者MEMO】
明らかに裏付けのない情報をデマだと証明するためにおよそ5年もの歳月を要した辛さん。辛さんが膨大な時間とエネルギーを使ってでも、野放しにはしたくなかった沖縄ヘイトにどう向き合っていくか。私たちにも問われていると感じました。