米兵による少女暴行事件に抗議して開かれた「県民総決起大会」から、10月21日で30年が経った。事件から沖縄の今を見つめるシリーズ最終回の本作では、事件をきっかけに大きく動いた、米軍基地の整理縮小を考える。当時の大田県政が普天間基地の返還を求めるに至った背景に何があったのか。そして事件から30年たった今、検証すべきことは何だろうか。(本記事は3部作の最終回です)

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「日米地位協定を早急に見直せ! 」


事件をきっかけに開かれた県民総決起大会。日米地位協定を盾にした米側が、事件を起こした米兵の身柄引き渡しを拒否したことから、「地位協定の早急な見直し」などが決議された。

衛藤防衛庁長官(当時)と話す高山氏(左)

当時、県の政策調整監として基地問題の対応に当たっていた高山朝光氏(90)は、会場に渦巻く人々の怒りを感じたと当時を振り返る。

「大変にすさまじいというか、会場を見たら、その人々の怒りというか、一人ひとりの表情の中にも、ものすごく感じた。自分の身の上に降りかかった(出来事)という思いがしていたと思うんです」