10・10空襲で最初に被害を受けた読谷村は、戦時中、日本軍の飛行場が建設され、戦後は米軍基地が置かれた「基地の村」です。米軍が接収した基地をフェンス越しにのぞみ、比嘉さんは基地内に作られた野球場を指しました。
「僕の家はあそこだった。レフト側。戦前、そこに僕のおうちがあったんですよ」

比嘉さんは10・10空襲の日、この地にあった自宅前から戦闘機を見上げていました。
「最初はね、演習だと思ってた」「朝早くから、今日はいっぱい飛行機が来るねという感じで見ていたら、頭上を通り過ぎて」
なぜ読谷村が最初の標的になったのか。読谷村の歴史に詳しい豊田純志さんは、米軍が日本本土へ侵攻する足がかりとして、沖縄が標的になったと話します。

読谷村史編集室 豊田純志さん
「要するに、軍事拠点を攻撃するということだから、この(読谷村の)北飛行場にあった、止まっていた飛行機などは全部爆撃されて、使えなくなるんですよ」
しかし、被害は軍事施設にとどまりませんでした。
「(読谷村の)喜納集落は飛行場のすぐ近くですから、弾薬などが民家に保管されていて、それが引火して爆発した」