遺族は苦しみながら、我が子がいない現実と向き合う
▽全国学校事故・事件を語る会 代表世話人 内海千春さん
「困ったときに、一番邪魔になるのは感情なんですよ」

「いまだに思い出すのも嫌だけど、あの事件のときの感覚…」「今でもあの時のつらさ、切なさはあります。こらえるんです、こらえた上で、何を望むんだ自分は、とか…」
この会を設立した1人、自身も自死遺族の内海千春さん。
▽全国学校事故・事件を語る会 代表世話人 内海千春さん
「うちの息子は1994年9月に教員の暴行の直後に自殺しました」
「当時本当にぼろぼろになりました。子どもが亡くなったこともぼろぼろだし、もうひとつは、僕、その時は現職の中学校の教員だったんです。周りはみんな敵になるし、子どもは亡くす、未来も無くなる」
「鉛の球、鉛を飲んだような気持ちっていうか、それは常にあります」

「受け入れられない自分がいるんだけども、それに折り合いをつけて生活ができるようになるまで、自分が変わらざるを得ないんですよね」
「そのためには七転八倒します、みんなのたうち回りながら、苦しんで、その人なりの向き合い方を模索していくというのがあるみたいですね」
▽生徒Aさんの母・みかさん
「重なるものが、いろんな目に映るものが、さっきも学生さんとか大学生とか見ていると、(息子と年齢が)近いんだろうなとか」
「しっかり向き合わないといけないなって思って。辛いけど、辛さを何かの力に変えるものがあるんだろうな…」
「語る会」参加のきっかけをくれた人がいた
みかさんに、この会への参加を促したのは大分県に住む遺族、工藤奈美さん。

「沖縄で会ったときに、とにかくこの会を紹介したかった」
高校2年のとき、17歳で亡くなった奈美さんの息子、工藤剣太さんは2009年、真夏に行われた剣道部の厳しい稽古中に、熱中症にかかった。
