太平洋戦争末期の1945年、20万人の命が失われた沖縄戦。沖縄県民の4人に1人が犠牲になった。県民の運命を決めた作戦が立てられた地下壕の跡は今も、誰もが知る有名な場所に残る。首里城の地下だ。

首里城正殿の地下に築かれた、「第32軍司令部壕」。現在一般には公開されていないが、今も一部の坑道から内部に入ることはでき、県が毎年点検を行っている。

今回、そのうち第2坑道、第3坑道で、最新の取材が行われた。貴重な映像と共に、壕公開の意義を考えるー

「第32軍司令部壕」地上では焼失した首里城の再建が進む

首里城は2019年に火災で焼失した。現在、正殿などの再建工事が進められている。県内外の宮大工が連携し、2026年には完成の予定だ。

この首里城の地下に旧日本軍が築いたのが、第32軍司令部壕。沖縄戦当時、住民が逃げていた南部に向けて部隊を撤退させ、巻き込まれた多くの住民が犠牲となる結果を招いた「戦略持久戦」が指揮された場所だ。


現在は閉鎖されているが、4月、第3坑道から第2坑道に続くエリアが報道各社に公開された。

▽第32軍司令部壕の保存・公開を求める会 瀬名波榮喜さん(95)
「第3坑道(の入り口)じゃないですか。我々もそこから入ったんです」

最新の映像を待ちわびていた1人、壕の保存・公開に尽力する瀬名波榮喜さん。撮影された映像をじっと見つめた。

▽1997年当時の瀬名波榮喜さん
「平和教育に大いに役立たせたい。同時に世界に平和を発信したい」

元鉄血勤皇隊員(※)だった瀬名波さんは、1990年代にも、壕の調査を指揮し、第32軍司令部壕の保存・公開を目指して取り組んできた。瀬名波さんの目に映る最新映像は、何を物語るのか― (「鉄血勤皇隊」=沖縄戦当時14歳から19歳の少年たちを徴用して組織された部隊)