旧日本軍の軍服や遺書の数々。元特攻隊員の男性が大分市の自宅を改装して作った資料館には3000点にも及ぶ貴重な戦争遺品が展示されています。男性は2年前に他界。現在は息子へと引き継がれています。戦後78年、生前に語った元特攻隊員の思いと、資料館の今後の動きについて取材しました。

3000点の戦争遺品、管理に限界

大分市上野丘にある大分予科練資料館。元特攻隊員の川野喜一さんが自宅の駐車場を改装して作った資料館には、遺書や軍服などが所狭しと並んでいます。川野喜一さんは2年前、95歳で亡くなり、現在は長男の孝康さんが管理しています。

長男 孝康さん:
「資料館のスペースは当初、半分だった。だんだん寄贈が増えて増設して今の資料館になった。最初は戦友から集め、そして全国から寄贈してもらい、36年で3000点になった」

大分予科練資料館

川野喜一さんは16歳で少年航空兵を育成する予科練に入って訓練を積み、終戦直前の1945年7月に特攻隊員になりました。出撃することなく終戦を迎えた川野喜一さんは多くの戦友が亡くなったことに心を痛め、35年前に資料館を開設しました。入場料は無料で、展示品にまつわる体験談を来館者に説明してきました。

川野喜一さん(2001年)

生前の川野喜一さんは「戦争に参加した人が悲惨なことは知っている。私の身代わりになってお前は生き残ってこういう慰霊をしろという神のお告げだろうということで、私も真剣にこれをやっている」と語っていました。

戦争の記憶を伝え、平和を考える場となった資料館を受け継いだ孝康さんら家族は、将来の管理を考えた結果、資料館を閉館し、県護国神社に寄贈することを決めました。

長男 孝康さん:
「私が亡くなったら先が見えないので、私の代で橋渡しをすれば、父の思いがその次の世代に移っていくのではないかと考えた」