被爆78年──

「今、平和を願って長崎の鐘の音が鳴り響いています」

台風接近の中、長崎平和祈念式典は “出島メッセ長崎”で行われ、60年ぶりの屋内開催となりました。

平和宣言​ 鈴木市長:
「核抑止に依存していては 核兵器のない世界を実現することはできません」

平和への誓い ​工藤武子さん:
「地球と人類の未来を守るには核兵器廃絶しかないと強く訴えるべきです」

総理と被爆者団体との面会は後日(8月30日)、東京・総理官邸で行われ、4団体は、国が決めた被爆地域の線引きで苦しむ『被爆体験者』の早期救済を訴えました。

長崎市の鉄橋で声をあげる 被爆体験者 岩永千代子さん(87):
「なぜ広島を認めて長崎は認められないと」

被爆体験者が望みをつなぐ裁判は来年、判決が言い渡される見込みです。

16歳で被爆した深堀好敏さん(享年94)5月21日死去:
「8月9日 私にとっては一番辛い日」(2017年撮影)

姉を自分の手で焼いた──
深堀好敏さん。写真から真実を拾い集めました。

深堀さん(当時68歳)「何か訴えたかったと思うんですよ。亡くなっていった人はね」

2015年にはアメリカにも渡り、4千枚もの被爆写真を調べ上げ、後世につなぎました。

14歳で被爆 早崎猪之助さん(享年92)4月28日死去:
「触ってみると山田君は死んでるじゃないですか。胸に手を当てて山田君!山田君!というと胸の皮がつるっと剥けるんですよ」

早崎猪之助さんは、あの日、水を飲ませた30人以上の人が絶命自責の思いと共に生き抜きました。

語り部活動の最後はいつもこの歌でした

 肌に焼け付くあの熱さ 黒く焦がれた妻や子を

早崎さん「今日もありがとうございますね」

19歳で被爆 井黒キヨミさん(享年97)11月死去:
「もう水を下さいって言うんですよね。まだ耳の奥にそれが突き刺さったごとして…」

井黒キヨミさん。95才の時、書きためた日記を自叙伝として出版しました。

(自叙伝の朗読)結婚後に流産し「原爆のせいだ。先々怖ろしかねーっ」と…

井黒さん:
「涙が出ますね。今のウクライナ(侵攻)も早く収まって欲しいですね。その事を伝えてもらいたいですね」

長崎を最後の戦争被爆地に──
軍事衝突が続き、核兵器が政治カードとして存在感を増す中、被爆79年の年を迎えようとしています。