

長崎市が庁舎を作り替えたのは1959年、市制70周年の時以来です。落成を祝って小中学生も日の丸片手に練り歩きました。

時の市長は被爆からの復興を導いた田川務市長。

そして、ことし4月23日、16年ぶりに行われた市長選挙で選ばれたのは、田川市長の孫・鈴木史朗さんでした。

(市長選 当選後の事務所)
鈴木史朗氏「どうもありがとうございました」
支持者ら「万歳!」

被爆二世の55才(当時)。国家公務員の経験を元に中央行政との太いパイプと実行力をアピールし初当選を果たしました。

市長室の椅子に腰を下ろす鈴木史朗 新市長:
「ちょっと慣れないですね。これ慣れてくるんですかね」
『経済の再生』と『少子化対策』の両輪で人口減少を克服する。

鈴木史朗 長崎市長:「見送ることと致します」
(6月12日の市長定例会見)


就任からひと月半後の会見で、庁舎跡地の『文化施設整備』と松山町の『スポーツ施設再配置』の見直しを表明し、対話重視の姿勢を示しています。

鈴木史朗 長崎市長:「甘くて美味しいです。甘い」
(ビワ「なつたより」市長贈呈)

“甘くない現実”に活路を見出すため、外部の専門家も登用した「政策実現会議」を発足、未来に希望が持てる町へ──新市長の舵取りが注目されます。
長崎市で国際会議 被爆から78年

G7保健大臣会合議長 加藤勝信 厚労大臣「G7の皆さん」


開業から2年がたった出島メッセ長崎は、この一年、政府系の国際会議場としても利用され、世界に向けたメッセージが発信されました。

白石隆 国際賢人会議 座長:
「The Nagasaki must be the last place(長崎を最後の被爆地にしなければならない)」