シリーズ企画「被爆80年 NO MORE…」は今回、久富美海アナウンサーの報告です。

(久富アナウンサー)詩を通して原爆の非人道性を訴えた被爆者・福田須磨子さんを取り上げます。亡くなって51年、その人物像を改めて紐解こうと、福田さんを生前カメラマンとして取材した私の祖父に、話を聞きました。

浜辺成弘、86歳。NBCの元カメラマンで私の祖父です。

浜辺成弘さん「(福田須磨子さんは)強烈な生き方をする人で、常に反原爆ということを念頭に置いて生きる人だったと思いますよ」

詩人・福田須磨子さん。被爆後の苦しい生活と原爆への怒りを綴った作品「われなお生きてあり」などで知られます。

1974年4月2日、52歳で亡くなるそのおよそ半年前。NBCでは当時の福田さんの様子を記録したドキュメンタリー番組を放送していました。

「よいしょ、よいしょ、よいしょ…負けるもんか…よいしょ」

祖父はこの番組の撮影と編集を担当。NBCの報道カメラマンとして40年間勤務していたなかでも心に残っている作品の1つだと言います。

「これはね、台本」

久富アナ「初マイク」
浜辺さん「俺らの頃はこんな上等のマイクなかったからね」
久富アナ「どんなマイクだったの?」
浜辺さん「ぶら下げるやつ」
久富アナ「福田さんに取材した時も?」
浜辺さん「福田さんのときにはマイクなし。あの…テープレコーダー」

久富アナ「見るのって何年ぶり?」
浜辺さん「何年ぶりかな、こりゃ」
久富アナ「福田さんに会ったときの最初の印象は?」

浜辺さん「福田須磨子という人は、反原爆の闘いを声を出してやる人、ものを書く人、そういったイメージが強かったんですね。ところが訪ねたときにね、杖をついて、とにかく『あ、この人があの反原爆をね、声高らかに訴えた人なのかな?』正直ね、『わー被爆者の体ってのはこんなにも痛ましいものになるんだな』ってのが第一印象だね」

大阪に住む姉のもとに身を寄せていた福田さん。腰は大きく曲がり、白内障で視力は低下。テープレコーダーで声を録音して詩を書いていました。

浜辺さん「(福田さんは)いきなりね『浜辺くん、君は私をどういうふうに撮ろうと思う、なぜ私を撮ろうと思ったの』という質問ね、問いかけ。一瞬ね、もう言葉のんじゃったね。『後世の人たちに福田須磨子はこういうふうな反原爆の闘いだったんですよというようなことをね、残すためのドキュメンタリーなんですよ』と言おうと思ったけどね、もうそんなことは百も承知だって言われそうで言えなかった」