長崎くんちを支えた「立三味線」

9歳で三味線の修行を始めた鐵文歌さんは戦後、長唄の師匠として地方の演奏を支え、後進を育てました。

1947(昭和23)年、長崎くんちに初出場。2年後の番付には、本名の「大黒チカ子」と記されています。丸山検番の師匠、松永鐵四郎さんの元に通い腕を磨きました。

1958年(昭和33年)西古川町の本踊では松永鉄文歌の名前で長崎くんちに出演。石畳の上に直に正座し、丸山検番のプロの地方に混じって三味線を引っ張る「立(たて)三味線」を務めている姿が映像に残っています。当時41歳です。

楽屋は鐵文歌さんに挨拶したい人たちで引きも切りません。長崎くんちで多くの町の本踊を指導している藤間金彌さんが声をかけると──

鐵文歌さん:「こちらに腰掛を差し上げて!」

藤間金彌さん:「祖母の代からのお付き合いで、先生には大変お世話になってますので。長崎にはなくてはならない人だと思っております。感謝でいっぱいです」