シリーズ「被爆79年 NO MORE...」。
原爆投下後まもない広島・長崎で、被爆者のために家を建てたアメリカ人たちがいたー。
発起人となったフロイド・シュモーと、長崎での家づくりの責任者で、その後しばらく被爆者たちと暮らしたジェームズ・ウィルソン。
2人のアメリカ人にスポットを当て、家づくりに込めた思いや、そこに暮らした人の記憶、現代の私たちへのメッセージを伝えるシリーズの「後編」。
【前編のあらすじ】
原爆投下に心を痛め、広島・長崎で、被爆者のために家を建てたアメリカ人・フロイド・シュモー。

『これ(家を建てること)によって、私たちは、戦争は悪いこと、私たちが間違っていた、苦しんだ人たちに 申し訳ないと思っていると言いたいのです』 ※シュモーさんが文通相手に書いた手紙より

住宅建設には、国籍も、文化も、宗教も様々な若者たちが参加した。家づくりは、平和をつくることそのものだった。

長崎では、爆心地から600メートルの山里小学校そばに、1951~1960年にかけて、9軒の家や集会所が建てられ、戦争や原爆で夫を亡くした妻と その子どもたちが暮らした。










