高校生がたどるー11歳の少女の運命
この日、高校生たちは自分達だけで79年前に松尾さんの自宅があった大橋町を訪れました。

「あっちじゃない?駐車場の方だよ。(爆心地から)近いね」
爆心地から約700メートル。自宅は全壊。松尾さんは稲佐山の中腹に父親が建てた小屋にいたため助かりましたが、死体が転がる「死の町」を前にした恐怖、色、熱は松尾さんの中から消え去ることはありません。
松尾幸子さん:
「もうみんな死んでしもうたとばい、世界の終わっとばい、どうしようかって言って泣いたんですよね。夜は赤い炎でした。それをよく眺めていました。これほどまでと思いませんでしたから。何も残ってなかったんですよ…」

活水高校・平和学習部 元川真理子さん(16):
「幸子さんがその日感じられたことが同じ場所で起こったってことが本当に信じられない気持ちでいっぱいです」
活水高校・平和学習部 島田朱莉さん(16):
「実際に来てみて想像することで、当時の辛さだったり、死から逃れるために頑張ってきた気持ちだったり、そういうのが少しは理解できたかなって思います」
松尾さんと高校生が作る「紙芝居」。
「絵」を担当するのは、被爆3世の島田朱莉さんです。松尾さんが見た長崎の惨状を表現するため、被爆写真なども見ながらおよそ2か月かけて23枚を描き上げました。

活水高校・平和学習部 島田朱莉さん:
「やわらかいイラストだけど、その当時の怖さを伝えられるように…。原爆投下後の長崎や、そこで苦しんでいた人たちの様子を自分でもう一度調べ直して、そこから松尾さんの話を関連付けて書きました」