沖縄がここにあるというような状態だった

戦争が終わった後も、波島地区に住み続けた山内さん。
終戦から数年後、父と祖母が沖縄戦で亡くなったことを知りました。

(山内 武 さん)
「父親・祖母、どんなに地獄だったか。本当にたまらない。いつまでたっても悔しい思いをしている。慰霊碑に、平和の礎に刻まれるようになったけど、一日でも早く終結すれば助かったか、ここに刻まれなくてもよかったなという思いがする」

当時、沖縄からの移住でおよそ300世帯が暮らしていたという波島地区。同郷の人たちが山内さんの支えとなりました。

(山内 武 さん)
「沖縄の村がそのまま宮崎のこの地区にスポッとはまるような、沖縄がここにあるというような状態だったから、戦後すぐ、県人会ができた。今も子孫が跡を継いでいるが、沖縄県人会が戦後何もない時代に助け合って、みんなで楽しむときは楽しんでそういう時代があった」