石川労働局によると、奥能登の4つの市と町の最新の有効求人倍率(今年2月)は、職業全体でみると1・26倍で、仕事を求める人の数に対し求人が3割ほど上回る状況となっています。
一方、看護師や理学療法士など「専門的・技術的職業」の分野に限ってみてみると有効求人倍率は2・81倍となっています。仕事を求める人1人に対しておよそ3つの求人がある状況で、“人手不足”が顕著な業界といえます。少子・高齢化が進む能登の医療現場を取材すると、人材の確保だけでなく若い働き手の流出を食い止めるための取り組みも見えてきました。
「逃げ出したい」被災直後に感じた地元へ戻ることへの“ためらい”
「(家族と)一緒に居れなかった私も辛くて。どういう状況なのかも全然わからんし…とりあえず生きていてほしい。それだけを思っていたんです」
去年元日の地震を振り返るのは、中島いまりさん22歳。地震発生当初は初詣で石川・白山市にいたため、すぐには穴水町に戻れず。半壊した実家で家族に会えたのは、2日後でした。
中島いまりさん
「再会した時はやっぱり号泣。会った瞬間、生きとって良かったという感じで…」
中島さんは母校の穴水高校を案内してくれました。
教頭
「どっちかというと喋るの苦手やよな?今でもそんな得意じゃないやろけど…」
中島いまりさん
「よくわかっていますね、いまりのこと(笑)」
素直でまじめな生徒だったという中島さん、当時は野球部のマネージャーや生徒会長を務めていました。
中島いまりさん
「ここ観客席でした。ホワイトボードで得点板とか。なんだか、私らの時とはがらりと変わって…」

震災の爪あとが残る思い出のグラウンド。被災した直後は、地元・穴水町に戻って働くことにためらいもあったといいます。
中島いまりさん
「何かもう怖いみたいな…何この町?穴水町じゃない。私の知っている穴水町じゃないと思って、何が起きたか分からなかった。正直いうと逃げ出したいと思った」
そんな思いを断ち切ることができた背景には、被災地支援を通して触れ合った町民の存在がありました。

中島いまりさん
「穴水町って温かい人が多いので、そんな人に救われたっていうのもあります。住民がいつまでもこの穴水町で元気に過ごしてほしいなって」
もう一度、“穴水のために働きたい”と思い直しこの春、新人看護師として地元の病院に入職しました。