奥能登で60年以上親しまれている豆腐店が、地震で工場に甚大な被害を受けながらも今月、豆腐作りを再開させました。いまだ瓦礫が残る町で、変わらぬ味を守り続ける3代目の思いです。


谷内孝行さん(4月2日取材)
「豆腐を作っていることが現実ではないような…嬉しい気持ちもありつつ、ふわふわした感じ」

夜も明けきらぬ、午前3時。静まりかえった集落に、3か月ぶりにあかりが灯ります。「さいはての谷内のおとうふ」輪島市で60年以上続く、小さな豆腐店です。


谷内さん
「本当に1人で出来ることは限られていて、沢山の方のおかげでここまで来れた」


工場があるのは、輪島市の山あいにある町野町。元日の地震では、豆腐を作る機械がなぎ倒されたほか、電気や水道といったライフラインが寸断され、休業を余儀なくされました。

谷内さん(1月取材時)
「工場が潰れていれば廃業ということも頭をよぎった」


3代目の谷内孝行さん。変わり果てた町の惨状に胸が締めつけられながらも、倒壊を免れた工場を前に、もう一度、豆腐作りを続けることを決めました。

谷内さん(1月取材時)
「家がなくなった人や能登に戻って来れるか不安を感じている人がいるのは想像できる。そんな人達に、僕が町野で踏んばってやろうとする姿を見せる」


2次避難先の金沢と輪島を行き来しながら、復旧作業に勤しむ日々。県外に住む友人たちも、救いの手を差し伸べます。

谷内さん(1月取材時)
「本当に嬉しい。大変な中来てくれた。辛い時に助けてくれる人がいて心強い」

そして、今月2日。断水が解消され、何とか復旧した機械で製造再開にこぎつけました。


2次避難から戻った従業員は…
「3か月での再開は、早かったね本当に。もっと無理やと思っとったし。金沢で行ったり来たりしながら家片づけて、ようやく仕事できるようになり良かったなと」


「自分の作ったものを誰かに食べてもらって、1人でも笑顔になってもらえたら良いなと思って頑張ります」