多くの出会いや別れを見つめてきた鹿児島空港。今から80年前戦時中、空港近くにあったのが特攻基地です。航空機を隠すための掩体壕の跡が今も残っています。

現在の空港周辺には、終戦の前の年の1944年、海軍航空隊第二国分基地が建設され、慰霊碑によりますと174人の特攻隊員が出撃しました。
人々が、様々な思いをのせて飛び立った地、霧島市溝辺。
この場所で暮らし、飛行機のある景色が日常となっている内村さんは、昭和100年そして戦後80年となる今年、鹿児島空港を特別な思いで見つめています。

(空港近くで暮らす 内村俊博さん)「戦争は絶対起こしたらまたしたらいけないと思う。鹿児島空港は(平和に)人と物を運ぶ、永久であってほしいなと思う」
(Q.希望を運んでほしい?)
「そうですね」










