◆河田小龍の"子孫" 河田公満さん
「今回、このように大規模で、今まででかつてないような数多くの作品を展示してもらい、『河田小龍』を皆様に知ってもらえることは、本当に良かったと思います」

河田小龍の"子孫"で「5代目当主」、河田公満さん。

京都府で歯科医院を営んでいる公満さん。自身は「理数系の頭で…全然、歴史は、ちんぷんかんぷんだった…」といいます。しかし、父が他界してから「河田小龍の子孫」として活動していくことになり、自身が知らなかった"先祖"のことを勉強していく中で、その「繊細さ」に「すごいなぁ」と関心したといいます。

◆河田小龍の"子孫" 河田公満さん
「晩年(74歳)の作品を見て、70代であっても、小さな字で、英語や難しい言葉とかが書いてある。『この時代に、こんなに見えたんか』と。それくらい繊細な字や絵を書いていて、『素晴らしいな』と。『私も真似できないな』っていう感じでしたね。細かかったです。もうすごく、細かくて繊細。全然、自分はダメなんですけどね…。上手に書いていて、あれはもう『異才』ですよね」

小龍が晩年に描いた「琵琶湖疎水図誌」。琵琶湖から京都まで繋がる「水路」が立体的・繊細に描かれている。

公満さんも驚いた、小龍の「繊細さ」。例えばこちらは、その晩年に「当時の京都府知事に頼まれて描いた」と言われる、水路工事の過程を記録した「琵琶湖疎水図誌(びわこそすいずし)」です。琵琶湖から、京都の市街地まで繋がる「水路」の様子が、「立体的」に、そして非常に「繊細」に、描かれています。

こうした「表現力」に長けた小龍は、当時、多くの幕末の偉人からも慕われていました。