今年で終戦から78年を迎えました。今回の主人公は新潟県長岡市の「水道タンク」です。街のシンボルになっている「水道タンク」は、長岡空襲の記憶を語り継ぐ“生き証人”でもあります。78年前のあの夜と現在をつなぐその歴史と、守ってきた人の想いを取材しました。
長岡のシンボル 赤い屋根の「水道タンク」

長岡の街にそびえ立つ高さ41.5メートルの塔。赤い屋根がトレードマークで「水道タンク」と呼ばれています。96年前の1927年(昭和2年)に上下水道の整備に伴って現在の水道公園の場所に中島浄水場が完成し、タンクは配水塔としてつくられました。1994年にその役目を終えましたが、今も街のシンボルとして長岡市民に親しまれています。

「この花は今年初めて植えたんですけどね…名前は忘れました」
タンクがある水道公園を整備しているボランティア「水道タンク友の会」の小林善雄会長(84)です。
「これが旧中島浄水場の排水ポンプ棟です」
水道タンクやその近くにある建物の内部は普段、一般公開されていませんが、希望者には小林さんが案内しています。

建物の中にあるのは、浄水場だった当時のまま残されている設備や、小林さんがこつこつと集めてきた資料の数々です。













