“世界で一番大好きな母に少しでも早く会いたい” 曽我ひとみさん

とある日曜日。多くの人でにぎわう佐渡市のイベント会場で、被害者救出を求める署名活動が行われました。
20年前、蓮池さんとともに帰国した曽我ひとみさんもそこに居ます。
【曽我ひとみさん(帰国当時・43歳)】
「今、私は夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かくて美しく見えます。空も土地も木も私にささやく。おかえりなさい。頑張ってきたね。だから、私も嬉しそうに帰ってきました」

24年ぶりのふるさとで穏やかな時間を過ごす一方、悲しみもありました。北朝鮮で「日本に行けば会える」と言われていた母・ミヨシさんの姿が、どこを探しても見つからなかったのです。

曽我さんが拉致されたのは1978年8月でした。
ミヨシさんと買い物へ出かけた帰り道、男たちに襲われ一緒に拉致されました。北朝鮮はミヨシさんを『未入国』と主張していて、今も安否がわかっていません。

帰国からの20年を思い起こし、曽我さんはBSNにコメントを寄せてくれました。
「この20年を振り返ってみると、様々な出来事がありました。周りの方たちのやさしさに心穏やかに過ごせています。ただこの間、一番気がかりであった母が12月で91歳を迎えます。母のことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになります。こうしている1分1秒が貴重な時間となるのです。世界で一番大好きな母に少しでも早く会いたいと思いながら今を過ごしています」

政府が認定している拉致被害者で、北朝鮮に残されているのは、曽我ミヨシさんや横田めぐみさんら12人。日朝首脳会談が行われた2002年以降、誰一人帰国を果たせていません。

【岸田文雄総理】
「5名の拉致被害者の方が帰国して以来、1人の拉致被害者の帰国も実現していない。このことについては、痛恨の極みである」
