甚大な災害をもたらした新潟県県北地域の豪雨からおよそ1カ月。
「元通りの生活へ一刻も早く」。復旧へ向け懸命に汗を流す中で被災者が強く感じたのは災害の恐ろしさだけではなく『周りの人たちとの繋がりの大切さ』『人の温かさ』でした。
新しい『家族』の誕生といううれしい出来事もあり今度は『復興』に向け前へ歩み続けています。

8月4日、避難情報としては最大となるレベル5の『緊急安全確保』が出された関川村高田集落です。

【須貝圭介さん(47)】「人命が本当に第一ですので、本当にそれだけは今、自分たちの財産だと思います」

この家に住む須貝圭介さん47歳です。犠牲者が出なかったことが「まずはなにより」と胸をなでおろしながらも今でも時々、当時の記憶が蘇ります。

【須貝圭介さん(47)】「大雨が…ちょっとトラウマになっているような気がします」

いまでは土砂を取り除き、汚れた家財道具なども撤去。ありとあらゆる場所を消毒し、扇風機で床下の土を乾燥させるなど衛生面に気を配っています。

襲ってきた濁流は避難の道を奪いました。

夜が明けると、家は流れてきた土砂により変わり果てた姿になっていました。

【記者リポート】「こちらのお宅ではおよそ2メートル近くまで土砂が流れ込んできたということです」

須貝さんら家族6人はすぐに2階へ避難。濁流の恐怖に震えながら一夜を明かしました。

【須貝圭介さん】「とても寝られるような状態ではありませんので、ただただ水が引けるのを祈りながら見ていた」

流れてきた土砂で埋もれ、その勢いで倒れた家財道具。突然の大雨はいつもの日々を一晩で破壊しました。

須貝さんの知人や友人、中には東日本大震災の時の恩返しにと茨城県から駆けつけてくれたボランティアらも後片付けを手助け。復旧は急ピッチで進みました。

浸水当時は物置スペースだったこちらの部屋はボランティアの人たちが力を合わせリノベーションしてくれました。

【須貝圭介さんの妹・田中路子さん】「赤ちゃんのお風呂とか、赤ちゃんを包むおくるみとか」

須貝圭介さんの妹田中路子さんです。路子さんは出産を控え、7月中旬に里帰りしていました。大雨による被害の中でも路子さんが安心して暮らせるよう、ボランティアの人たちが生活環境を整えてくれたのです。

【田中路子さん】「家族の知人とか友人の方が応援に来てくださったりだとか、あと励ましのご連絡をいただいたりだとか、そういうのがあって…家族だけではなかなか気が持たなかっただろうなと」

またカーペットの下には大きく「祈」の文字…友人や知人、ボランティアの人らが『安産』や『復興』を願って残したメッセージです。

【田中路子さん】「たまに思い出しますね。ここにあの言葉書いてるなとか、たまに大きいメッセージの写真を見たりしながら、あそこにあの方がこんなことを書いてくれていたんだなとか思いながら」

産まれてくる赤ちゃんのために揃えていたグッズの数々は家族からの呼び掛けで2階に運び、なんとか無事でした。この1カ月間、路子さんは家族や周りの人たちとの繋がりに感謝する毎日だったといいます。

【田中路子さん】「大変な中でも頑張ってここまで赤ちゃんも来てくれたので、あとは無事に出産して、いろいろご支援いただいる方にも良い報告ができればいいなというふうに思っています。

人の思いが、思いやりを持てるというか思いやりを感じられる子に、優しい子に育ってほしいなと」

被害に遭ったのは自宅だけではありませんでした。須貝圭介さんは関川村で採れた「しいたけ」の生産・販売を行う『S・H・K』の社長を務めていて県内各地のスーパーや直売所などに年間でおよそ250トンにも上る自慢の「しいたけ」を届けています。

ただ、大雨で『S・H・K』が運営する一部の「しいたけハウス」が浸水被害に遭い、生産できない商品もでました。

【須貝圭介さん】「みんなで大事に育てているものなので本当に言葉にならないというのが本音です」

実は須貝さん、しいたけの被害状況が世間に広まることで「関川村のしいたけはもう生産できないのでは?」と、風評被害に遭うことを一番恐れていました。

ただ、ボランティアらの協力で復旧が予想以上に進んでいるほか、今後はクラウドファンディングでの支援を受けることも検討していて、今はメディアを通じて前向きにしいたけハウスの浸水被害を話すことができるといいます。

【須貝圭介さん】「関川村の特産品である『あらかわしいたけ』は順調に出荷を行っておりますので、まずは本当に一刻も早い高田ファーム(しいたけハウス)の復活・復旧を目指したいと思います」

先日、罹災証明書の発行を終え、『大規模半壊』という判定を受けた須貝さん。復旧までの道のりで感じたのは『人の温かさ』でした。

【須貝圭介さん】「人間って一人で生きていないんだなと、みんなその繋がり繋がりで、全国みなさんのところまでネットワークが広がって、皆さんに来ていただいているので、本当に人ってつながりで生きているんだなと改めて感じました」
「感謝というか『ありがとう』という言葉では言い表せない」

「元通りの生活へ」『人との絆』を大切に復興に向け歩み続けます。

【出産を控えていた田中路子さんは8月31日、2450グラムの元気な男の子を出産しました。「災害を一緒に乗り越えてくれてありがとう。産まれてきてくれてありがとう」と抱きしめてあげたそうです。】