ふるさと・青森を心から愛し創作の源とした志功。1974年には、自身にとって特別な意味を持つあるものを手がけていました。
志功がじっくりと見つめる作品、そこには志功と妻・チヤの名前が書かれています。これは、自分の墓に刻む文字を揮毫したものでした。

棟方志昂 千哉子 静眠碑 約半年の間志功から志昂に改名した時期のモノ 「碑」は「石」へんでなく「玉」になっている。

墓は、青森市の三内霊園に敬愛していた画家、ゴッホの墓を模して作ることを決めました。このとき、志功は元気な姿を見せていましたが、その後、病魔に侵されていることがわかります。孫の石井さんたちは、懸命に看病しましたが…。

※石井頼子さん
「亡くなる2~3週間前には鉛筆が持てなくなってしまって、もっと柔らかいものをということで、『パパ、なにを言いたいの』とクレヨンで書かせてあげようと思った時に、クレヨンでも書けなくなったときに、『もうパパいいよ。もう疲れたね。もういいよ』と」

家族の願いは、届きませんでした。1975年(昭和50年)棟方志功は72年の生涯を閉じました。強くて深い郷土愛を胸に探求した新たな表現世界。その作品は色あせることなく、いまも圧倒的な輝きと存在感を放っています。

志功の命日には今でも大好きだった「ひまわり」が供えられる
2023年9月に青森テレビ わっち!!ニュースで放送した生誕120年を迎えた「青森市出身の板画家、棟方志功」4回シリーズでお伝えしました。