文化勲章の受章により、芸術家としての高い評価を不動のものにした志功。晩年は原点へ回帰し、故郷、青森県への思いを強く表現した作品が増えていきます。

1971年には弘前ねぷたを初めて制作、まつりでも運行され喝采を浴びました。同じ年、志功は子供の頃にくり返し描いた青森の凧絵を60歳を超えながらいま一度、手がけていました。
この凧絵に関する思い出話を志功からよく聞かされていたというのが、孫の石井頼子さん(66)です。

※志功の孫・石井頼子さん
「(志功が子供時代は)空に飛んでいる凧は売っている凧なので、原色で色がついているけど、そのなかで白黒の志功が描いた凧がものすごく映えてかっこよかったというのが自慢で、よくその話は聞かされて『わ(私)の凧だっきゃ一番だった』というのが耳に残っている。『一番だった』そうです」
志功にとって、初めての孫となる石井さん。生活を共にするなかで目の当たりにしたのが、祖父に宿る青森への深い愛情でした。
※石井頼子さん
「(志功は)お風呂に入っているときとか鼻歌を歌うことがあったけど、『サイギ、サイギ、ドッコイサイギ』よく歌っていたと思います。お山参詣」