2人の交流はまつりが終わったあとも続き、長谷川は志功ゆかりの品々を生涯、大切に保管しました。掛け軸に仕立てられているのはなんと、ハチマキです。志功が墨描きの時に頭にしめていたもので、長谷川が頼み込んで譲り受けました。

さらに、手紙のやりとりを何度もしています。志功は、そこで長谷川だけに制作の展望をあかしています。『ネプタはあと一つ、青森市に残し、描く(かく)だけで、描かない(かかない)つもりです』

志功が構想していた青森ねぶたの制作は残念ながら、実現しませんでした。

※川村岩山さん「画期的すぎた。描けば面白かったと思う。個人的には、彼がもう一台ねぷたを描けば非常に面白かった」
棟方志功はねぶたとねぷたを創作の源としただけではなく、そこから独自の境地を切り拓きふるさとに新たな風を吹き込みました。