*音声(小原忠三郎伍長)
「(3日目に)ますます吹雪が激しくなり神成大尉が怒ってしまった。
「天はわれら軍隊は死ねというのが命令である。みんな露営地に戻って枕を並べて死のう」と言う。あっちでバタリ、こっちでバタリ、足の踏み場がないほど倒れた」

事態が大きく動いたのは出発から5日目でした。救援隊が雪の中に仮死状態で立っていた後藤房之介伍長を発見。これを受けて大規模な捜索が行われますが、生還を果たしたのは、小原伍長を始めわずか11人でした。

*音声(小原忠三郎伍長)
「ああなってくるとどうしても信じるほかない。目の前でバタバタと倒れていきますから。神様に助けられたといまでも思っています」

何が生死を分けたのでしょうか。長年、雪中行軍を研究している元自衛隊員の加藤幹春さんは、わずかな差だったと指摘します。生存者の大半は、岩穴や小屋などで風をしのいでいましたが、犠牲者の多くは有効な手立ては講じていなかったと言います。

*インタ(加藤幹春さん69歳)
「(当時の調査では)実は着るもの・食べ物に問題はなかった。ただ、露営の方法が悪かった。初日は穴を掘って風を少なからずとも防いだけど、2日目以降は全然なされなかった」

*音UP(ことしの八甲田演習)「後藤伍長の銅像に敬礼」

雪中行軍の経験則は現在、自衛隊でいかされています。当時、凍傷が相次いだ5本指の手袋は保温性を高めるため親指だけ分離したミトンタイプも使われるようになりました。

*インタ(加藤幹春さん69歳)「八甲田雪中行軍の訓練をする前に、教科書となるべきものがあれば防げた事故ではないかと思います。それを考えると悔しくてたまらない」

199人が犠牲になった八甲田雪中行軍。日本の山岳史上、最大の惨事は多くの教訓を残し、これからも引き継がれていきます。