青森県の歴史を紹介するシリーズ、「ふるさと歴史館」。26回目は、旧陸軍の兵士199人が冬の八甲田で訓練中に命を落とした八甲田雪中行軍です。
日本の山岳史上、最大の惨事について生還者が残した貴重な音声から検証します。

青森県下有数の進学校である青森市の県立青森高校。この地にかつてあったのが旧陸軍・歩兵第五聯隊の本部兵舎です。第五聯隊は明治35年(1902年)八甲田での雪中行軍を決行しますが悪天候にはばまれ遭難。参加210人のうち199人が命を落とす、日本の山岳史上、最大の惨事となりました。当時の過酷な状況について、行軍から生還した小原忠三郎・伍長(岩手県出身)の音声が残されています。

*音声(小原忠三郎伍長)
「雪の中で死ぬということは簡単なモノですなあ。雪の中はじっとしていると死にますから。足踏みしている。疲れて倒れていく。」

雪中行軍は、日露戦争を前に寒冷地での戦闘訓練として計画されました。訓練はロシア軍が八戸市付近に上陸し、国道など主要な交通網が機能しなくなった場合を想定。第五聯隊の任務は八甲田を越えて進軍できるかを検証することでした。

そして行軍当日、第五聯隊は1泊2日で兵舎から八甲田の田代までを往復する予定でしたが、昼頃から天候は急速に悪化、計画が大きく狂っていきます。猛吹雪で道を見失った一行は、目的地に到着できないまま露営を余儀なくされます。


翌日はさらに天候が悪化。前進を諦め戻ろうとしますが、この時、すでに異変が起きていたと小原伍長は証言しています。

*音声(小原忠三郎伍長)
「出発して隊がだんだん方向が変なところに入った。兵隊がけがをしてきて、そのうち水野中尉が倒れたと伝わった。びっくりしました。まさか死ぬとは思いませんでした」

この状況下で一行は帰る道を見つけることができずに迷走。凍死しないため眠ることもできない中、猛吹雪と寒さが攻め立てます。そして…。帰路を失った行軍は、「死の行軍」へと様変わりしていきました。