甲子園には5度出場 “名伯楽”が新天地で伝える“走る野球”
監督不在だった八戸工業大で戦術以上に取り組む走塁の『土台作り』

1978年に八戸工大一高校の監督に就任すると、5年後の夏の選手権を皮切りに甲子園出場は春夏合わせて5回。1987年の選抜では2勝して、県勢31年ぶりのベスト8に導くなど高校野球で一時代を築きました。

八戸工大一高校監督時代 山下繁昌 監督(1987年の取材当時)
「走ることを中心に、野球のできる体を十分作ってから3月を迎えたい」
当時から重視するのは、『確実性』と『アグレッシブさ』を兼ね備えた野球です。

新井宇輝 アナウンサー
「これまで培ってきた“走る野球”を、新天地でも伝えています!」

「盗塁」や「バスターエンドラン」など、足を絡めた攻撃や守備の際に打球を追う出足まで徹底して取り組むのは、戦術以上に『土台作り』です。

八戸工業大は、昨年度まで監督がいない状態で、試合後には采配を巡って選手同士で激突することもありました。山下監督の就任で、選手たちはより「野球」そのものに集中できる環境が整いました。