幼少期からアイスホッケーに触れていた

三浦さんは小さい頃から、兄二人の影響もありアイスホッケーに触れていた。

三浦孝之さん
「当時は寒くて道路が凍ったりしたので、“丘ホッケー”と言ったんですが、みんな集まって草野球するような形でアイスホッケーをしていたのが印象に残っています」

小学3年生で地元のアイスホッケーチーム『八戸ホワイトベアジュニア』へ。夢はオリンピックに出場すること。家族のサポートもあり小学5年生でバンクーバへ海外遠征。当時から高身長だったこともあり、自分のポジションが変化する。

三浦孝之さん
「元々フォワードだったんですね。中学校の時にディフェンスの方が卒業して、体が大きかったので“ディフェンスをやれ”と言われてですね。もともと、状況判断とか視野が広いと言われていましたので、ディフェンスとしてフォワードに良いパスが出せるというところも買われて、ディフェンスにコンバートされたんだと思いますね」

ポジションが変わっても素晴らしい活躍を見せる中で、八戸高校へ進学。その後大学に通いながら、日本のアイスホッケーの強豪と言われる西武鉄道の実業団でプレーを続けていた。

三浦孝之さん
「大学の部活動に入っていたら成長が遅れてしまうかなと思いましたので、自分の中では大学に行ける状況を作ってくれた西武鉄道に決めたということです。他の選手が遊んでいる時や寝てる時に練習をして、そこでみんなに追いつかなきゃなというのがあって自分なりに努力はしたと思います」

全国レベルに追いつくため努力を続け、大学3年の頃には世界選手権で日本代表に。さらに結婚や腰の怪我を経て、30歳で4年に一度のあの大会へ。