最年長村長は“津軽弁”全開で市役所へ 186センチの長身に驚き隠さず

大館市・石田健佑市長(左)・田舎館村・鈴木孝雄村長(右)

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「市長さん?うわー大きい人だ」
大館市 石田健佑 市長
「お越しいただき、ありがとうございます」

全国最年長の首長・田舎館村の鈴木孝雄村長は、9月に就任した全国最年少の首長・大館市の石田健佑市長と対面すると、186センチの長身に驚き、思わず歓声を上げて握手を交わしました。

「若い市長の夢を聞きたい」 対談を熱望したのは最年長87歳の鈴木村長 

大館市役所

午前10時過ぎ。大館市役所に到着した鈴木村長は、石田市長との対談を前に胸を弾ませていました。

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「(きょうが)楽しみで眠れなかった。本当に楽しみで。私は11月17日で(村長の任期が)終わるんですよね。その最後にこんなことができるんですよ。すばらしい。宝くじが当たったような気持ちでいます。若い市長がどんな夢やロマンを持っているのか聞きたい

大館市役所前で取材に応じる田舎館村の鈴木孝雄村長

10月27日に投開票の村長選挙には立候補せず、11月17日の任期満了をもって引退する鈴木村長。それまで2か月余りに迫った9月1日、大館市長選挙で石田市長が初当選し、全国最年少27歳2か月の市長が誕生したと知ると、自分が現役の村長でいるうちに「ぜひ対談したい」と思ったといいます。

全国最年少の市長が誕生した大館市は『忠犬ハチ公』の“ふるさと”

鈴木村長が市役所に入ると、まず目に留まったのは『忠犬ハチ公』の生誕100周年を祝う横断幕でした。

大館市役所の1階に飾られた横断幕

『忠犬ハチ公』は、1923年に大館市で生まれた秋田犬です。生後しばらくして、東京帝国大学の教授だった上野博士のもとで暮らすこととなり、『ハチ』と名付けられました。博士の亡きあとも、渋谷駅で飼い主だった博士の帰りを待ち続けて『忠義』を捧げた姿から、後に『忠犬ハチ公』と呼ばれるようになりました。大館市では、30年以上前から毎年、ハチ公の慰霊祭が行われています。

大館駅前にある「秋田犬の里」の前に設置された「忠犬ハチ公」の像

『忠犬ハチ公』で知られる秋田犬は、忠誠心が強い犬で、国の天然記念物にも指定されています。実は鈴木村長、かつて秋田犬を飼っていたことがあるそうで、「力が強くて、(散歩中に)田んぼの方に引っ張られたよ」と思い出話をしてくれました。

大館市役所1階ロビーに展示された絵と鈴木村長

いざ対面 「津軽弁で『あめね』って言います」果たして通じるのか!?

市役所の職員に拍手で迎えられる鈴木村長

市長室へ案内されると、鈴木村長は持参していた風呂敷をほどいて石田市長に土産を手渡しました。

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「隣町の古い時代からの銘菓です。『梅干し菓子』です。たとえば梅干しをおにぎりに入れたら、津軽弁で『あめね』って言います」

梅干しを使った土産を受け取った石田市長は、鈴木村長が使った津軽弁『あめね』の意味を解読できたか石田市長に聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

大館市 石田健佑 市長
「『あめる』と言っていましたね。わかります。『悪くなっちゃう』という意味。わかるというか、懐かしいなって思いましたね」

市長室で市長の椅子に座る石田市長

津軽弁の『あめる』は、食品が『悪くなる、傷む』という意味で、その否定形の『あめね』は『悪くならない、傷まない』の意味。青森県民でも津軽弁を話さない若者が増えている中、なぜ27歳の大館市の市長が『あめる』を理解でき、『懐かしい』と感じたのでしょう?その答えは、石田市長の少年時代にありました。

少年時代に毎日のように接したのはネイティブの津軽弁

1997年(丑年)に大館市で生まれた石田市長。実は、父親の仕事の都合で小学生から高校生までは青森市で過ごしました。市内の公園でバスケットボールに触れたことをきっかけにバスケを始めたいいます。高校時代の部活動では、長身を生かして活躍しました。

真ん中の「#7」が石田市長

青森県立青森工業高校では、友人たちと『青森ねぶた祭』に参加したことも。少年時代は、毎日のようにネイティブの津軽弁を耳にしていたため、鈴木村長の津軽弁を『懐かしい』と感じたのです。

鈴木村長も「青森の出身だから、津軽弁の心配はいらないと思っていました」と話していて、その期待どおり石田市長は終始、鈴木村長の津軽弁をしっかり理解して対談していきます。