最年長も最年少も同じ悩みを抱えていた それは…

和やかな雰囲気で始まった最年長と最年少とのトップ対談。

名刺交換をして着座すると、先陣を切って質問したのは石田市長。自治体トップの大先輩である鈴木村長に“ある悩み”を打ち明けました。

大館市 石田健佑 市長
「村長に質問してもいいですか?私は27歳で市長に就任させていただいてるので、選挙のときもですけど、『若過ぎるんじゃないか』とか『経験が足りないんじゃないか』というお声をいただきました」

25歳で挑戦した2023年4月の大館市議会議員選挙でトップ当選。1期目の任期途中で辞職し、10月27日の衆議院選挙に立候補するために前大館市長・福原淳嗣氏(56)が辞職したことに伴う9月1日の市長選挙に立候補して27歳の若さで初当選した石田市長。全国市長会、町村会、特別区長会によりますと、東京23区と全国1718市町村の中で最年少、最も若い首長です。

この悩みに答えるのが、全国最年長、つまり最も高齢の首長・鈴木村長です。

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「私も42歳ぐらいだと思うんですが、農業委員を3年やりました。(私自身が)農家ですから。そして3年やって、今度は『私も出たいな、やってみたいな』という思いから村議会議員選挙に出たんですよね。だけど、他所から見ると『まだ早いよ』とか『いろんな経験が』とか。最初の段階は必ずそれ(年齢や経験の指摘)が出てきます」

46歳で村議会議員選挙に初挑戦した鈴木村長もまた、当時は周りから『まだ早い』と“年齢”や”政治経験”について指摘されたといいます。

田んぼをキャンバスにした『田んぼアート』の村で米農家から村長へ

2022年の第一田んぼアート会場「モナリザ」

鈴木村長のふるさと田舎館村は、田んぼをキャンバスにして色とりどりの稲で絵を描く『田んぼアート』の発祥の地です。1981年に2000年以上前の『稲作の跡』が発見され、その当時は『日本で最北の稲作の地』として脚光を浴びました。
この歴史を生かし、稲の色が紫色や黄色などの『古代米』を使うと絵が描けるのではと考え、村が主導して1993年に最初の作品を制作したのが始まりです。

今年の田んぼアートの田植え体験ツアーの様子(後ろに見えるのは田舎館村)

古代から米づくりが盛んな田舎館村に1937年(丑年)に生まれた鈴木村長は、46歳で村議会議員選挙に初挑戦するまでは米農家一筋でした。67歳だった2004年の村長選挙で初当選。以来5期20年にわたって田舎館村政を担ってきました。『まだ早い』と言われて歩み初めた政治の道も振り返れば約40年に達し、今年2月4日からは特別区の東京23区と全国1718市町村の首長の中で最年長となっています。

過去5回の村長選挙で一度も無投票当選はなく、最後の戦いとなった2020年は次点の候補との差がわずか300票あまりでした。「若い」という年齢に悩む石田市長に対して、鈴木村長はその選挙を振り返りながら話しました。

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「(2020年は)83歳でもう1回選挙をしなきゃいけなかった。83歳になるとね、だいぶ選挙の票が崩れるんですよ。簡単なようでなかなか難しいんですよね。友人に“厳しいぞ”と言われました」
大館市 石田健佑 市長
「最年少も難しいけど、最年長も難しいんですね」
田舎館村 鈴木孝雄 村長
「難しい、難しい。そう、そう、そう、そう、そう。心配するところだけが多く並べられますよね」

若ければ『フレッシュさ』よりも『経験が少ない』、年を重ねれば『経験が豊富』よりも『高齢』と、他者から見ると心配が先に立ってしまい、選挙や政治では、『若い』も『高齢』もどちらも悩みのタネになるということで2人の意見は一致しました。

5期20年の経験から“お金の使い方”をアドバイス

“年齢”や”経験”に悩む石田市長に鈴木村長がアドバイスしたのは、一定の財政を確保しながら事業を進めることでした。

田舎館村 鈴木孝雄 村長
「議員は、自分の地域の『あれをしてほしい、これをしてほしい』と言います。それが仕事ですから。でも、一定の財政を確保した上で余裕があるときに補助事業をする。同じ時に2つはやらない。1つだけを完成させていく。うちは、財政担当の職員が厳しかった。感謝していますよ」

早く結果を出したい気持ちや、市民の代表である議員の要望に応えたい気持ちばかりが先走っては、財政が破たんしてしまいます。優先順位を決めて、一つ一つ着実に進めていく大切さを説いたように思えました。