思い起こそう長崎大水害映像の記憶
今回は八郎川の氾濫により地区全体が被災地となった東長崎地区の惨状です。

長引いた停電と断水、そして道路寸断の影響が人々を苦しめます。


水害の翌日、1982年7月24日、一般の市民が撮影した長崎大水害の被災地の動画です。

動く車は一台もなく、組織的な救援活動の様子は確認できません。
映像が撮影されたのは長崎市の東長崎地区です。

この地区では合わせて66人が犠牲となりました。

取材ヘリコプター リポート:
「矢上町です。ここは近くを流れる八郎川が氾濫し、まるで町全体が川になってしまったといえます。そのため2日経っても、街の中では、ゴミや自動車が軒先に引っかかっているという有様を見せていました」

大水害の時、国道34号沿いの矢上の商店街付近での水位は2メートルに達しました。


当時のニュース音声(1982年7月26日放送):
「こうした中で、東長崎地区の中心部ではようやく昨夜から電気がつくようになりましたが、水道は止まったままで、道路には家の中から出されたごみと土砂がうずたかく積まれ、異臭を放っています」

水道の復旧の遅れ、東長崎地区へ繋がる幹線道路の寸断が、この地区の市民を苦しめます。
がれきや土砂、車の残骸が道路わきを占領する状態がしばらく続き、衛生状態悪化の懸念も高まります。

孤立した東長崎地区へ向かう市中心部からの救援はしばらくの間、徒歩を余儀なくされました。
水害で削られた谷を避け、堆積した土砂を乗り越えて被災地から被災地への救援が続けられました。