海に面した会社と養殖施設は、2011年3月の東日本大震災による津波で被災し、被害額は20億円以上に上りました。
社長の季宏さんは当時、東京への出張で不在でした。

(古川季宏社長)
「私が帰ってこられたのは震災1か月後だったので、かなり片付いてはいたんですね」

中学3年生だった翔太さんは祖父の勝弘さんにこう言ったといいます。


翔太さんの言葉が背中を押して、元正榮北日本水産は、震災から3年後の2014年に養殖施設を再建しました。
奇跡的に流出を免れたアワビから種苗も採取しましたが、養殖アワビが出荷できるまでに育つには、さらに3年ほどかかります。

(古川季宏社長)
「黙っていても最低数百万の固定費が毎月かかってきますし、これを3年間払い続けなければいけない」

苦難の時期を乗り越え、待望の初出荷を果たしたのは2016年のことでした。


それでも、満足に収入を得られなかった時期を経験したからこそ、元正榮北日本水産はレストランやホテルが中心だった取引先を拡大しようと商品開発に取り組み、「三陸翡翠あわび」の個人向けの通信販売も手がけるようになりました。


現在では、年間120万から130万個のアワビを国内外に安定的に出荷し、出荷量は、震災前とほぼ同程度まで回復しています。

(古川季宏社長)
「いかに強く『大丈夫だ』って思い続けるか。それしかないと思います」


社長の季宏さんと、会社の再建に向けて奮闘する父の姿を見て育った三代目の翔太さんの親子が見据えるのは、これからの岩手、そして三陸の海です。

(元正榮北日本水産 古川翔太営業部長)
「大学出てすぐ入ったんですけど、事業の希少性というのは日増しに感じるようになりました」
(元正榮北日本水産 古川季宏社長)
「他では絶対にまねできない部分は、この岩手県で作ってる以上今後も守っていくことだと思ってます」

被災から復活した養殖技術で育てたアワビとともに歩む古川さん親子の挑戦はこれからも続きます。