昭和初期の広島市中心部ー。紙屋町交差点に路面電車が行き交います。
路面電車で便利になった八丁堀界隈は、映画館やデパートが立ち並び活気にあふれていました。

平和のシンボル、原爆ドーム。「産業奨励館」と呼ばれていた1936年には「見本市」が開かれ、広島の特産品が並びました。館内の様子を記録した、貴重な1枚です。

写真を撮影したのは、松本若次さん。廿日市市出身で1965年に76歳で亡くなったプロの写真家です。(※松本若次氏 1889年~1965年)

若い頃、家族でアメリカに渡り、農園で働いていたときに現地で本格的に写真技術を学びました。帰国して38歳のときに「猿楽町(さるがくちょう)」と呼ばれたいまの「そごう広島店」のあたりに写真館を開業。アメリカにいたときから「好きな写真に打ち込めるように」と若次さんを支え続けた妻・テエさんも一緒でした。

若次氏の孫 スチールカメラマン(広島市広報課・写真取材等専門員)大内斉さん
「桜がさいたらきれいでしょうね…」
若次さんの孫、大内斉さん(66)です。大内さんはスチールカメラマンとして広島市の広報課で働いています。

若次氏の孫 大内斉さん
「おじいさん(若次さん)はパノラマ写真をいっぱい撮っていた。私も写真何枚かつないでパノラマ化してみるのが好きなんで、そういうのは似ているかもしれないなと思う」
祖父の若次さんは、大内さんが幼いときに亡くなりました。祖父が残した戦前の記録を後世に残したいと、広島市の公文書館に写真を預けることにしました。

(幼い頃の大内さんと祖父・若次さん)
若次氏の孫 大内斉さん
「個人で持っているとやっぱり散逸したり、いつの間にかなくなるとかいうリスクがあると思うんですよね。貴重な写真資料なので、残さないといけないなと強く思ったので、広島市公文書館に寄託するようにしました」


















