能登半島地震発生から2週間が過ぎた今でも孤立状態が続く集落。17日、自衛隊によるヘリでの救助作業が行われましたが、『一度出たら戻ってこられなくなる』という懸念から、孤立集落に残る選択をした人も。被災者は今、苦渋の決断を迫られています。
一方、中学校の再開めどが経たない輪島市の中学生は、親元を離れて暮らす“集団避難”が始まりました。
阪神・淡路大震災から29年 能登半島地震の発生時刻にも黙とう

阪神淡路大震災から17日で29年。
地震で息子を亡くした人
「あの子が大学に帰るとき、『お母さんバイバイ』と言って帰ったんです。それが最後でしたから、『お母さん』ともう一度言ってもらいたいです」

黙とうは、能登半島地震の発生時刻である午後4時10分にも行われました。
輪島市で被災した柴田剛さん(67)
「(災害から復興した街を)自分の目で見て、自分の言葉で持って帰って能登の復旧・復興になにか手助けできればいいなと思って」
「ギリギリだった」孤立集落から40人救出 孤立集落に残る決断をした人も
被災地では、17日午後2時時点でいまだ5万900戸あまりで断水が続き、孤立が解消されていない地域もあります。
16日時点で最も多い85人が取り残された輪島市西保地区。住民を救出するため、17日に自衛隊が集落に入り、40人が救出されました。

自衛隊「前進します。ゆっくりでいいんで」
住民「お願いします、ねこちゃん。さあ行こう。頑張るぞ」
飼い猫と暮らしていた女性。電気も水道も使えない状況の中、生活してきました。
――この2週間あまりで一番困ったのは何でしたか?

「夜が長くて困った。夜が長くてたまに危険なことが。(飼い猫の)ミルクに『大丈夫だよ』って言っていた」
避難者の中には小さな子どもの姿も。
――長い隔離生活どうだった?
2人の子どもの母親
「大変でした、子どもが2人いて。もう限界ギリギリでしたね」

救出された住民の一部はこの後、金沢市へ二次避難するそうです。
孤立集落に残る選択をした住民もいます。
小林秀之さん(63)は、「一度集落を出てしまったら戻れなくなってしまう」というのが理由です。ただ、母親は高齢のため避難させることに。
孤立集落に残る 小林秀之さん
「(母は)最初は『行きたくなかった』って言っていたが、余震があるごとに気持ちが変わっていった。自分から『行く』って」
――でも、おばちゃんが安全に行けるってことだけでも、もしかしたらいいのかもしれないですね

「もう戻ってこれんかもしれない。どうなるか分からんもんね」

















