能登の浄水場を40年間見続けた技術者

「私が入社したばかりの新人の頃、もう40年ほど前の話になるが、能登というのは泊まり掛けの出張で行く場所だった。まだ高速道路もなく、遠い場所だった。けれども役場の水道課の担当者から、電話一本で呼び出されては、矢波浄水場まで赴いて、訳も分からず作業の手伝いをさせられて、夜には飲み会に誘われたよ」

“初代”の矢波浄水場の時代から、その維持管理などのほとんどを手掛けてきた、石川県金沢市に本社を置く、中堅の設計コンサルタント会社。もうじき定年を迎えるというベテランの設計技師幹部の宮内さん(仮名)は、昔を振り返り笑った。

新人の頃から通い詰めたという矢波浄水場。宮内さんは、セロテープで繋ぎ止められた古い設計図を前に、色々な思い出を語ってみせた。

先代の技術者が設計を手掛けたという矢波浄水場。その更新に向けた設計を、定年間際となった宮内さん自身が手掛ける事になったのは、感慨深いと話す。

「だから矢波浄水場には、能登町には、とても思い入れがある。悔いの残らないように、きっちりとした仕事をしたい」