回答書で町は「土地を貸せない」と判断した理由を、「都市公園法の制約があるため」としています。
しかしもう一つの大きな理由は、多くの職員が犠牲になった旧庁舎の建物を保存するか解体するかで、町の人々の間で感情的な対立が生じた過去の経緯でした。

被災した建物を「震災遺構として保存すべきだ」と主張する側と「震災を思い出して見るに耐えないから解体してほしい」とする側の意見がぶつかり、保存を主張するグループが町を訴える事態に発展しました。


最終的に庁舎解体を公約に掲げ2015年の選挙で当選した平野町長の判断で、建物は2019年に解体されました。
慰霊碑の問題をきっかけに町の中で対立が再燃する可能性を問われた平野町長は。
(平野公三 町長)
「大いにその部分ではあり得ると思います。あの箇所(旧役場庁舎跡地)については大事な場所と十分承知しているが、多くの人のコンセンサスを得ることは厳しい状況にある」
町はさらに、犠牲になった職員は町全体の犠牲者の「一部」であり、公共の場所に「一部の人だけの慰霊碑を建立することはできない」という立場を示し、遺族に理解を求めました。