襲う火災と水害

木造家屋の多い当時のこと、都市部では家屋からは次々と火が出、火災による被害が拡大しました。戦後のバラック(仮建築住居など)は特に燃えやすく、出火件数は57件に及んだといいます。
それが各地で延焼し、福井市での焼失面積は市街地の6分の1にも達しました。これは東京ドーム約11個分に相当します。

福井空襲でいったん焼け野原になった街が、また地震に伴う火災で焼け野原になったのです。

さらに地震の1か月後には九頭竜川水系の河川堤防が決壊し、水害が発生したのです。地震による被害を受けたため、堤防が弱くなっていたものと推測されています。

交通路の被害から

今回の能登半島地震と共通点があるのは、交通がことごとく分断されてしまったことでしょう。弱い地盤の隆起や沈下、線路の湾曲、駅舎の倒壊などで、当時の交通の主力だった鉄道網が寸断されました。

線路が曲がり、橋梁が落ち、物流の主力がまったく機能しなくなりました。

また、地元の幹線国道である、国道8号線などが、陥没、亀裂などの被害を受け、およそ300の橋梁が落ちたり、家屋で道路を塞がれるなどして、物流ルートが絶望的に途切れてしまいました。