ニューイヤー駅伝 inぐんま(第68回全日本実業団対抗駅伝競走大会。群馬県庁発着の7区間100km)に注目の双子兄弟選手が出場する。弟の設楽悠太(32、西鉄)はマラソン元日本記録保持者で、Honda在籍時にニューイヤー駅伝で前回まで最長区間だった4区(22.4km)を区間賞で3回走っている。兄の設楽啓太(32、西鉄)も箱根駅伝など学生時代に大活躍した。
2人は今年、西鉄に加入。14年3月に東洋大を卒業した2人が、9年半ぶりに同じチームで走ることになった。

最後は同じチームで駅伝を

悠太が西鉄入りしたのは今年の7月1日、啓太は9月26日。悠太は西鉄での目標を、以下のように自社サイトに掲載した。

「西鉄陸上競技部では、チーム最大の目標である『ニューイヤー駅伝過去最高順位(20位)更新』に向け、私自身の走りで貢献することはもちろん、これまでの経験を活かして、後輩達の成長の後押しもしていきたいと思います。また、個人では『ニューイヤー駅伝での区間賞獲得』、『2025年の世界陸上東京大会への出場』」と『マラソンで自己ベスト更新』をできるように取り組みたいと思います!」

啓太も以下のような意気込みを載せた。

「駅伝ではチームメイトと共にニューイヤー駅伝のチーム最高順位を達成出来るよう、全力を尽くします。個人では世界大会出場を目標に精進していきます。また、弟の悠太と同じチームで走れることになり、とても嬉しく思いますし、互いの強みや弱みを知っている悠太と日々の練習で切磋琢磨しながら、より一層のレベルアップを目指してまいります」

西鉄加入は様々な状況が重なって実現したが、「駅伝は自分たちの原点。陸上競技人生の最後は2人でやりたい気持ちが強かった」(啓太)と、駅伝に向けて一緒に頑張りたい思いが2人に強かった。

そうなるとファン心理としては、2人のタスキリレーを見てみたい。高校、大学では同じチームで何度かタスキリレーをしている(箱根駅伝では大学1年時と3年時の2回、2区の啓太から3区の悠太にタスキリレーした)。だが実業団は別のチームに進んだため一度もない。今回は可能性があるのだろうか。

「まだ区間に関してはわからないです」と啓太。持ち記録ではチームトップ2の設楽兄弟だが、今季の状態ではエース区間の2区、3区を任される保証はない。悠太は12月3日の甲佐10マイル(約16km)に47分02秒(19位)でチームトップとなったが、啓太は48分54秒(85位)でチーム6番目だった。

2人の駅伝に対する思いは、兄弟リレーよりもチームの成績に向かっている。兄弟リレーをしたからテンションが上がったり、それで速く走れることは「ないです」と、悠太はきっぱり否定する。チームの誰からタスキを受け取っても同じようにしっかり走る。

2人の運命が交錯した実業団1年目のニューイヤー駅伝4区

その2人がニューイヤー駅伝の同じ区間を走ったことが、2回あった。ルーキーイヤーの15年と、6年目の20年で、ともに前回まで最長区間だった4区で対決した。特に15年は啓太が、前年優勝のコニカミノルタのエース区間を任され注目度が大きかった。啓太自身も前年の箱根駅伝山登り区間の5区で区間賞を取り、その点でも大きく注目されていた。

啓太は区間4位(1時間03分23秒)ではあったがトップに立った。だが「トップに立つのは予定通りでしたが、優勝したトヨタ自動車に20秒、差を詰められたのがよくなかった」と反省する。啓太の反省はその通りなのだが、ルーキーが優勝候補チームのエース区間を任され、役目を果たすのは簡単なことではない。啓太の成績はそれを示していた。

悠太は兄の駅伝の走りを、学生時代から敬い続けていた。
「啓太はどの区間でもチームのために、絶対に走ってくれました。自分はそれができなかった。エース区間を走ることから逃げていました」

箱根駅伝では悠太が7区、3区、3区と2年時から3年連続で区間賞を取った。7区は近年、“復路の2区”と言われ重要度が高まっている。3区はスピードランナーが多く集まる。どちらの区間も下りが多く、設楽兄弟のように10000mで27分台のスピードを持つランナーが力を発揮しやすいコースだ。

それに対し啓太はエース区間で2区と、山登り区間の5区を4年間走り続けた。2区は上りも多いタフなコース。5区は当時、距離が現在より長く重要度が大きかった。上りのスペシャリストだけでなく、平地区間でも通用するエースが投入されることもあった。啓太は2区を区間7位、区間2位、区間3位と3年連続で走り、4年時は5区で区間賞。東洋大は兄弟が2年時と4年時に優勝している。

学生時代は啓太の方が駅伝での実績も、10000mの記録も上で、少しの差でも序列が付いていた。啓太は優勝8回の名門コニカミノルタのエース区間を任されても当然、と言えるくらいの実績をもって実業団駅伝にデビューした。

しかしニューイヤー駅伝1年目の4区で、区間賞を取ったのは悠太の方だった。1時間02分47秒と元祖山の神・今井正人(39、豊田自動織機)が2年前に出した区間記録を3秒更新。兄との直接対決にも36秒差で勝利した。そして1年目のニューイヤー駅伝を境に、2人の立場は逆転した。

悠太がどんどん結果を出し始めた。2年目にも4区で区間新、4年目にも区間賞を獲得。4年目は区間新ではなかったが、区間2位との差は34秒と、圧倒的に大きかった。

その頃の悠太を、啓太は次のように見ていた。
「駅伝は外さないとわかっていたので、そこまで驚きませんでした。特に正月の駅伝は学生時代から区間賞を続けていた。エース区間だから区間賞を取れない、とは、僕は思っていませんでした。その後も、どんな状況でも区間賞を取り続けた。本当に強いな、と感じていました。悠太のそういう走りで、チームも勢いに乗ったと感じていました」

悠太は入社2年目の15年世界陸上北京大会、16年リオ五輪と10000mで代表入り。そして18年2月の東京マラソンで16年ぶりの日本新と、個人でも素晴らしい実績を残した。

Hondaは過去、本田技研工業の名称で参加していた94年の2位が、ニューイヤー駅伝最高順位だった。その後も入賞常連チームだったが、94年以後の3位以内は08年1回だけ。それが悠太の活躍で優勝を狙える雰囲気が出てきた。小山直城(27)ら埼玉県の後輩たちも、悠太を慕って入社してきた。22年のHonda初優勝と、前回の2連勝で悠太はメンバー入りできなかったが、優勝への階段を上がっていく流れを作ったのは間違いなく悠太だった。