背中を押してくれた27年前の言葉

実は私の背中を押してくれたのは、27年前の落合さんの言葉だった。社会人2年目のとき、ドキュメンタリー番組をつくりたくてテレビの世界に入ったものの、担当する番組はグルメや流行の話題を扱うものばかり。夢が挫折しかけたときに、落合さんが雑誌に書いたエッセイを読んだ。

「あなたの人権が、あるものによって侵された。日頃のあなたの考えと行動からするなら、これを黙って受け入れることはできない。そうすることは、あなたの、あなた自身への裏切りになるから。また、そういった沈黙があらゆる人権の侵害を許容してきたのだ」『週刊金曜日』1996年5月24日付(第123号)

24歳だった私は落合さんの言葉をノートに書き残した。本作品のナレーションを誰に依頼するか考えていたとき、この言葉を思い出して、依頼した。インタビューで落合さんに当時のノートを見てもらった。

山﨑監督がノートに書き記した落合さんのエッセイの一部

―私がこれまで権利を奪われた人、奪われそうな人たちをずっと取材してきたのは落合さんの言葉がずっと心の中にあったからだと思う。
落合さん:
本当にこういうときです。書いててよかったなって思うのは。同じことなんですね。あと何年か経って、この映画をご覧になった人の中から、同じような思いで「観といてよかったな」と思われる人が出てくると思います。だからやっていられる。つらくてもね。それはしみじみと思ったりします。
「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることで、それ以外のものはジャーナリズムではなくて広報だ」という言葉があります。つまり政権っていうのは報じられたくないことを報じるジャーナリズムを恐れるんだけど、残念ながらこの国はここ10年くらいで、報じられたくないと政権が思っているものをだんだん報じなくなってきた。私たちはこの作品から学ぶことがたくさんあると思うし、この先何人かが「そうだテレビ局に入りたい、新聞社に入りたい、活字の仕事をしたい、映像やりたい」と思ってくれたら嬉しいですよね。

―最後に、どういう人に映画を観てもらいたいか?
落合さん:
どなたにでも観ていただきたい。もう一つは、「変だよね」と思いながら、「ここで変だよねって言うのは損じゃないかな。あえて言う必要はないよな」と、ちょっと足踏みしていて、そしてそういう自分をなかなか肯定できないでいる人。どこでもいいんです。居場所は職場だっていいし、どこだっていいんです。そう考える人に観てもらえると「自分と同じ思いをする人がここにもいる」「こういう人もいる」と感じて、画面の中の人と自分の手を繋ぐことができると思います。

27年前、挫けそうだった私を励ましてくれた落合さんから、映画を作った意味を改めて教えてもらい、勇気をもらった思いがした。

クレヨンハウス 東京・吉祥寺

クレヨンハウスには子どもの本だけでなく、平和や人権に関する書籍も置いてある。1階ではオーガニックのレストランや有機野菜なども販売している。平日にもかかわらず小さな手を引いた家族連れなどで賑わっていた。

クレヨンハウス「朝の教室」で落合さんの進行のもと、私が講演します。映画制作の舞台裏や市民と権力、政治との関係性などについてお話しします。会場の定員は満席になりましたが、オンラインで視聴可能です。
日時:12月10日(日)午前9〜10時

オンライン申し込み:https://www.crayonhouse.co.jp/shop/g/g2206090014882/