
久保田長利さん:
「かつては家族の団らん家族の中心的な存在だったと思うんだよね真空管ラジオって。時代とともに、もうどんどん取り残されて、朽ち果てて捨てられる運命だったんだけど、なんか、何となく一生懸命働いたお父さんと似てるのかもしんないね、そこは。そこで何か重なったのか、よくわかんないけどね。引き合ったかもしんないね」
ラジオの修理を通して病気を克服した久保田さんはその後も修理を続け、真空管ラジオからトランジスタラジオ、そしてカセットレコーダーが一体になった「ラジカセ」へとその幅を広げています。

久保田長利さん:
「俺がうんと苦労したからね、あの仕事のときに。だから、せっかくここまでなったからぜひ後世まで元気で活躍してほしいなと思うね」
自らの手で再び命を吹き込んだラジオに、安住の地を与えてあげたい。
自治体や民間などで保存してもらえればと久保田さんは寄贈先を探しています。