母親「毎日の通勤で、改札で必ず息子の姿を探しています」

梶谷さんの母親
「恭暉が行方不明になり、一年。まずたくさんの応援して下さっている方にお礼をお伝えしたいです。これまで150件近くの情報提供を警察に寄せて下さった全国の皆様、1年間チラシを掲示して下さっている皆様、恭暉を心配下さっている皆様、恭暉の同級生のみなさんと親御さん、心配下さっている地域の皆様、全国の交番勤務の皆様、倉敷警察署生活安全課の皆様、報道関係の皆様、尾道海上保安庁の皆様、日本山学会の会員様、井口島猟友会の皆様、沢山の方に支えられて1年が過ぎました。ご協力頂き感謝の思いをお伝えしたいです。

思い返せば、恭暉は思春期の心揺らぎの年齢でした。

母からの愛情を恥ずかしく、嫌がり、反抗期で母子の会話が少なくなり、母が把握出来ない世界も持っており、私も仕事をしているので、夜はすれ違いで塾に。

それでも、朝寝起きでおはようのハグを受け入れくれました。あのハグの瞬間が愛おしくて堪りません。もう一度、寝ぼけた恭暉を抱きしめたい…。

冬を迎え所持金1万円だけで家を出るのは相当な覚悟が必要で、私の愛情が足りなかったと自分を責め、この1年間、人に会うのが怖くなり、仕事も十分にはできなくなり、食べれなくなり、それでも、恭暉を育ててきた思い出を胸に一年待ち続けていました。

一日中陣痛に耐えて産み、初めて歩いた時、ママと言ってくれた時、少6の運動会の組体操、直近で中学運動会で活躍してした姿、バスケ部ベンチでも頑張っていた姿、私の料理をお腹いっぱい食べた姿、恭暉と向き合った掛け替えの無い時間を思い出します。

150件近くの目撃情報をいただいておりますが、全て本人の確認が取れず、1年間恭暉の姿をみられずにいます。

恭暉の小学生の頃にそっくりな子を見て、その子は恭暉では無いと頭では解っていますが、体型や雰囲気がそっくりで、愛おしく感じ、涙が出ました。

街でお母さんと楽しく過ごす男の子を見てはせつなくなり、高校1年生の運動部を見ては恭暉を応援している気持ちになります。

毎日の通勤で改札で必ず恭暉を探しています。

今は情報提供も極端に無く、家を出て行って直ぐに情報公開をしなかったことを後悔しています。

どうか皆様に再度お願いがあります。

髪の毛は硬く、視力はメガネが無いと運転出来ない位、猫背で、岡山弁又は標準語、170センチくらい、一見大人と同じ容姿です。

保険証や口座開設が出来ないので、その辺りに違和感を感じたら警察に連絡ください。

1年を期に、もう一度、皆様からの情報提供とSNSなどでの協力を宜しくお願い致します。

声を掛けて、訛りを確認して頂ければ有り難いです。全国の交番にチラシを掲示していますので110番頂きますようお願いいたします」