百年たてば、今回の判決が笑われる日がきっと来る
当時の時代背景として“未婚の母親”に対する偏見があったと見られています。
菊田昇医師:
「米倉明(東大)教授は、今回『実母の戸籍の特別措置』が実現しなかった事情について次のように述べている。『私のみるところ未婚の母に対する非難、非婚アレルギーというものが大変強いのであって、この事実を無視して、右のような特別措置をとろうとすれば、特別養子縁組制度そのものに対する反対が現在ある以上に頭をもたげ、結局、この制度は葬り去られてしまう危険がきわめて大きい」
(『ジュリスト』1987年10月1日号 有斐閣)

あくまでも“子どもの幸福のため”という名目で制度設計は進みました、いわゆる“非婚アレルギー”により“産みの母親”の戸籍の議論は見送られたというのです。今の時代に議論されていれば、また違った結論になっていたかもしれません。
菊田医師は「特別養子縁組制度」の創設に尽力した一方、1988年には最高裁に上告を棄却され、出生証明書の偽造による「医業停止」の行政処分が確定しました。
そして、3年後の1991年8月、病により65歳でこの世を去りました。亡くなる2年前、雑誌の取材に、こう述べています。
菊田昇医師:
「中絶時期を逸してしまい、ほうっておけば親に殺される運命が目に見えている子供を、そのままにするのが倫理だというのでしょうか。五十年、百年たてば、今回の判決が笑われる日がきっと来ます」
(『週刊読売』1989年11月26日 読売新聞社)
奇しくも菊田医師が、自らの行為を告白してから2023年で丸50年です。菊田医師は、きっと最高裁の判断を笑い飛ばしているに違いありません。
※参考【直近5年の特別養子縁組成立件数】司法統計より
2022年:580件
2021年:683件
2020年:693件
2019年:711件
2018年:624件