「死ねばいいのに」産みの母への憎悪…

養子の当事者でつくる「Youthの会」の代表、志村歩さんも「テリング」で救われた経験があります。志村さんは15歳の頃、ふと思い立って“産みの母親”に手紙を書いたことがあるそうです。届いた返事の手紙には、こんなことが書かれていました。

志村歩さん:
「返事の手紙に書いてあったのは、今は結婚していること、結婚した男性との間に子どもが産まれ、あなたには弟がいると書いていました。写真も同封されていました。その時初めて負の感情と言いますか、疑問が湧きました。私のことは育てなかったのに、弟は育てるのかと。正直そのとき、産みの母親に対して『死ねばいいのに』と思いました」

ただ、負の感情が長続きすることはなく、年齢を重ねるごとに何も感じなくなったと言います。両親が幼い頃からありのままを伝えてくれたため、ショックが小さくて済んだと志村さんは考えています。

志村歩さん:
「両親が自分の記憶がないうちから養子について話をしてくれていたので、自分の出自について受け止めることができたと思います。両親のもとで普通に暮らすことができたので、荒れたり、非行に走ったりすることはありませんでした」