「入っただけで涙が」最後の内覧会 様々な思い出であふれる
この劇場の最後の姿を多くの人に見てほしいと、今月7日には最後の内覧会を首里劇場調査団のメンバーが開催。午後1時の開始を前に、映画ファンや近隣の住民など幅広い年代の人が詰めかけました。劇場には長蛇の列ができていました。
内覧会の最中、客席に座って泣いている女性に出会いました。

「劇場に入っただけで涙があふれました。思い出が詰まった場所という感じが伝わってきて」
首里劇場に詰まった思い出は、実に様々。70代の男性は、小学校の映画鑑賞会の思い出を嬉しそうに語ります。
「小学校の映画鑑賞会というのがあってね、2階席は全部畳だったんですね。そこで寝転んでね、よく見たことがある。それと無料入場の思い出も。大人が入っていくときに、手をつかまえてね、親子の真似をして入ってきたりしました」
首里で生まれ育った男性は…
「地元なので、最後は見届けたいなと思ってきました。すぐそばに一銭マチヤ―(駄菓子屋)があったんですよ、そこによく行っていたから」
Q成人映画がやってる時代ですよね
「そうそう、そばでドキドキしながら劇場を見た」
首里劇場で、学校の入学式を体験した人もいました。
「首里中学校の入学式はここでおこなわれた。その時は体育館も何もないですから。当時は1学級70人で、14クラスであった。1000人くらい入ったのか、覚えてはいませんが。世の中の流れを感じますよね。あんなに人が騒いだのに」
孫を連れて舞台を懐かしそうに眺めている女性は

「ここで小さいときに踊ったことがあった。琉球舞踊の発表会か何かで。だから劇場を客席から見たというよりも、裏から入った記憶がほとんど。劇場を壊すとなるとね、ちょっと胸にくるのがありますね」
午後6時の内覧会の終了まで、あと1時間。沖縄芝居の役者の仲嶺真栄さんが、孫とひ孫、4世代でやってきました。
役者 仲嶺真栄さん
「70年前は、劇場の楽屋で寝起きしていた。芝居が終わったら、座長がみんなを集めてミーティング。きょうはどこが悪かった、どこがよかった。こうだよ、ああだよって指導があった。それでうんと勉強になった」
首里劇場を知る祖父・栄さんは、孫の良盛さんに当時の思い出を伝えていきます。

孫 仲嶺良盛さん「ここで寝泊まりもした?」
仲嶺真栄さん「うん、寝泊まりもした。家はないです。このころは」
孫 仲嶺良盛さん
「まさか祖父が関わってると思ってなかった。こうやって思い出話が聞けて、来てよかったなってすごく思う」
内覧会を主催した首里劇場調査団の平良竜次さん。多くの人が首里劇場を訪れたことに対して、驚きと喜びがあるといいます。
首里劇場調査団 平良竜次さん
「1人でも多くの方に首里劇場を知っていただきたかった。これだけの人たちが来てくれて、面白がってくれているというのは、亡くなった金城館長もうれしいんじゃなかと思います」

県内最古の劇場を訪ねると、そこに集うひとりひとりの記憶の中に、沖縄の大衆文化の歩みを見つけました。