■銃剣とブルドーザーで否応なしに家を破壊…伊江島焼き払い事件

1956年夏、沖縄を留守にしていた亀次郎が、屋良に一通の電報を打った。

<瀬長亀次郎 日記(1956年8月8日)>
“伊江島焼き払い事件の実相 詳しく至急送れ”(瀬長亀次郎 日記 1956年8月8日)

「伊江島焼き払い事件」とは、アメリカ軍が、伊江島で農地にガソリンをまき作物ごと焼き払った事件のことだ。

沖縄本島の北西に浮かぶ伊江島は、77年前、激しい戦場だった。沖縄戦で住民の半数が犠牲になる苛烈な歴史を持つ島である。戦後、多くが軍用地にされたが、住民は生きるために荒れた自らの土地に入って耕し始めた。

2022年、91歳になった平安山良有さんもその一人だ。

<平安山 良有さん>
平安山 良有さん
「人の手で、一坪一坪起こして、始めはイモから大豆を作ったり麦を作ったりして、自給自足というんですかね、ようやくやっているときに」

戦後10年、アメリカ軍は、銃剣とブルドーザーで否応なしに家を破壊し土地を奪った。

平安山さん
「抵抗もできないし、向こうのやりたい放題だよ」

アメリカ側は「丁寧に壊した」と言ったという。

土地接収に対し、非暴力で抵抗した住民運動のリーダー・阿波根昌鴻の声が残っている。

<住民運動のリーダーだった 阿波根 昌鴻氏>
阿波根 昌鴻氏
「完全武装兵が着剣して上がりました。300名あまりが。土地をとられると食べ物がなくなって死んでしまうと、取ってくれるなとお願いしましたら、殴る、蹴る、半殺しにされて、縄でくくって、ぶちこまれた」

それでも農作業を続ける住民にとどめを刺すように、広大な農地を焼き払ったのだ。