華やかなダンスの裏にあった“葛藤”

與真司郎さん提供

セクシュアリティを巡る葛藤。幼少期から向き合わざるを得なかったという。

「小さい時から『人と違うな』というのはあった」とし、「自分が何なのかっていうのも、(理解に)時間がかかった」と明かす。

思春期には、さらに葛藤が深まった。

與さん
「中学生ぐらいになってくると、友達のみんなが『誰が好き?』ってなって、みんなは女の子が好き。それも自分であわせなきゃいけないから。どうしたらいいのかわからないっていう状況になってて、やっぱり自分を隠すしかない」

転機となったのはダンスとの出会いだった。

與さん
「小学校5年生ぐらいのときにダンスにはまって、もう中学生のときはダンス!ダンス!ダンス!ってなってたので。自分の夢を叶えるために、そのセクシュアリティを考えなくていいように、自分の夢に向かって走ってました。もうそれ一本で。14歳から芸能界にいるので、そこに集中するしか、自分のメンタルが保てないというか」

多くの人たちを魅了した華やかなダンスの裏には、少年期から青年期にかけての心の葛藤が秘められていた。

芸能界の成功とさらなる苦悩

SHINJIRO ATAE  YouTubeより

そして、芸能界で成功を収めると同時に、苦悩もまた増えていったという。

與さん
「やっぱり日本の芸能界も含め、ストレート(異性愛者)であることが当たり前っていう感じの質問とかが普通に来るので、そこをどうやってあわせていけばいいんだろう。ファンの皆さんも傷つけたくないし、どうやっていけばいいのかなって」

「自分がゲイとして生まれたくて、決められて、生まれて来たらいいんですけれど、自分たちって、自分たちで決められないことなので。『いや勝手になったんでしょ』とかって、そういうイメージも多々あると思うんですけれど、もう生まれたときからのことなので」

LAでの出会い「光が見えた」

ロサンゼルスでの出会いが“光をもたらした”
ロサンゼルスで精力的に活動する與さん

多様性への感度に欠ける、芸能界と日本社会。

「このまま日本にいたら精神が崩れる」

追い詰められた末にアメリカ・ロサンゼルスに渡った。そこでの友人たちとの出会いが光をもたらした。

與さん
「みんなが普通に、ゲイの人とストレート(異性愛者)の人たちがみんな何もジャッジをせずに普通に遊んでるんですよ。逆に気も遣ってない。本当の僕たちはそうであってほしいんですよ。別に特別扱いをして欲しいとか、全く思ってなくて、ただ、一緒に普通の生活をただしたいだけっていうところに、アメリカでその人たちと出会って初めて感じられて、やっと何か光が見えた」