県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのでしょうか。今回のストーリーは大鰐町出身の外科医・阿保義久さん。
現在は東京港区にある北青山Dクリニックの院長として、病気を作らないための予防治療やアンチエイジングなど再生医療に精力的に取り組んでいる。

昔からスポーツマンだった阿保。小学校四年生から始めたバスケットボールは高校三年まで続けた。

阿保
「強いチームだったので、ありがたいことに全国大会に小学校の時に2回、自分が六年生のときにも参加することができました。高校二年生のときは、新人でキャプテンになったので、能代工業高校のバスケットボール部の顧問の先生に手紙を書いて電話をして練習試合を挑んで、当時全国10連覇だった強豪校にチャレンジをして…」

一方で勉強にも励んだ。文武両道の学生生活を送ることができたのも、厳格でいながら優しい父の存在があったから。
阿保
「父親に『嘘だけは言うなよ、嘘をついたその瞬間からも絶縁だ』みたいな、
それは毎日のように言われたかもしれない」

高校卒業後は早稲田大学理工学部に入学。授業料が全額免除になるほど優秀な学生だった。仕送りを大学二年までと親に断り、自分でアルバイトをしながら学生生活を送っていた。三年になり就職活動。そして、ある考えに至る。
阿保
「お金だけを目標にしちゃいけないなと。ただ、仕事で食えなきゃいけない。でも第一位は、今までスポーツに本気に取り組んできたように自分がまずのめり込めること、好きなことをやることで生きがいを感じること、それを職業の第一条件にすべきだと。そういう観点で見たときに、医師っていうのが何となく出てきたんですよ」
早稲田大学在学中にも関わらず受験をし、見事に東京大学合格
阿保
「大学三年の頭に駿台の模試試験受けてみたら、意外と成績が良かったので、頑張れば医学部いけるんじゃないかということで、結果運よく(東京大学に)受かりました」

研修医を経て東京大学病院第一外科に入局。このまま大学病院での教授を目指していく道もあったが、父の病気をきっかけに、医師としてのあり方を考え直す。
