イブニングニュースでは、戦後78年を迎え語り継ぐことが難しくなっている「戦争証言」をお伝えしています。
戦時中、旧満州の産業発展や防衛力の強化のため、多くの人が現地に渡りました。その中には、国のためにと自ら志願し参加した10代の少年たちが数多くいました。「満蒙開拓青少年義勇軍」と呼ばれた彼らの過酷な経験、そして多くの仲間の死。浅口市に住む92歳の証言です。
14歳で義勇軍に志願「応募できることが幸せぐらいに思っていた」
(山本泉さん・92歳)
「日本人なら、そういうところへ行かんのが恥のように感じとった。それに応募できるいうことが幸せじゃいうぐらいにしか思ってない」

山本泉さん。92歳です。
太平洋戦争さなかの1945年。わずか14歳で、故郷の岡山県井原市から満州に渡りました。1938年に国策として始まった「満蒙開拓青少年義勇軍」です。
現地での農業、そして万が一のときには兵隊の役割を担うために、15歳前後の少年たちが満州に送り込まれました。当時は国民学校を通じて勧誘が行われていました。

(山本泉さん)
「何人、この学校から満州へ義勇軍として行ってくれという割り当てがあった。校長や教頭が、盛んに子どもに勧めるわけ。親は泣きよりましたけどな。子どもながらに汽車で寝れるし、乗ったことのない列車に乗れるし、富士山も見えるしと楽しみにしとった」
国のためと信じ、反対する親を説得して出発しました。こうして満州に向かった満蒙開拓青少年義勇軍は全国でおよそ8万6千人、岡山県でもおよそ2700人にのぼるといわれます。

(山本泉さん)
「宵闇に乗じて釜山に渡ってな、もう夜が明けたら見渡す限り野原じゃからな。これが満州かなと思うて、広いもんで。戦争が嘘のようでしたな」

列車を乗り継ぎ、満州北部の訓練所に到着。農作業が始まりました。
