◆「虐殺」の事実を認められない人たち

警察に制止され、慰霊碑の前まで「そよ風」は進むことができなくて、最初の集合場所に戻って短い集会をし、公園を出ていきました。1時間程度、慰霊の日にはふさわしくない、騒然とした雰囲気が続きました。「そよ風」のメンバーに話を聞きました。
神戸:慰霊祭をしようとしているんですよね?
女性:慰霊祭です。慰霊祭を妨害するというのは、どういう話なんでしょうか。どうして邪魔するのですか。
神戸:でも今までは…(「そよ風」がスピーカーで妨害していたのでは、と言おうとして遮られる)
女性:お寺でも何でも、人を慰霊している時に、こうやって邪魔するというのは、いろんな考え方があってもいいかもしれませんけども、おかしくないですか?
別の女性:双方、亡くなった人を慰霊しに来ました。それで、来たのに通してくれないんだよ、警察が。あいつら(抗議する人)の批判っていうのは、私ら街宣やってもいつも一緒だから。
神戸:「(虐殺された朝鮮人)6000人」が多すぎるというのはわかるのですけど、230人というのは少なすぎませんか?
女性:あの災害なら、どんだけでも亡くなっているでしょ。日本人だって何万人も死んでるし。
神戸:虐殺された人が…。
女性:虐殺してませんて。「そんな事実ない」って聞いていますよ、日本人側としてはね。なんで虐殺しなきゃいけないんですか?
神戸:虐殺は歴史的な事実だ、とはお考えになっていない?
横から割り込む男性:虐殺はあるよ。今でも北朝鮮で虐殺起きてるじゃん。今でも起きてるじゃん! その虐殺は問題にしないのか、お前らは!?
「虐殺はなかった」と、はっきり言っていましたね。死んだ朝鮮人230人あまりの方々は、日本に対するテロを起こそうとして、それを日本人が抑えるために殺害したのだ、というスタンスなのです。
この団体「そよ風」は元々トラブルになることを厭わないので、「政治的な対立が持ち込まれるのは困る」と東京都などが「両方の追悼式典を中止させるのではないか」という懸念が広まっています。
「そよ風」の関係者は、「両方の追悼式典をなくすのが目的だ」という表現をし、碑の撤去を求めています。自分たちの追悼式典ごと、本来の追悼式典をなくしたい、という意思があるのだろうと思います。
◆「どっちもどっち」論に立ってはいけない
抗議する側にも、人格攻撃のような罵声がありました。傍から観ていると、「なんでこんなひどいケンカをしているんだ?」とも見えるのです。
しかし、注意しておかなければいけないのは、「どっちもどっち」と言ってはいけない、ということです。「虐殺があった」というファクト(事実)、「なかった」というフェイクを並べて、「2つの意見がある」という言い方はできないと思うのです。
例えば、「人を殺してもいい」という意見と、「人を殺してはいけない」という意見があって、「意見が対立しているから両論併記すべきだ」と言う人がいたら、おかしいでしょう。「差別をしてもいい」「差別はいけない」も、「どちらかに偏ってはいけない」という言い方はできないですよね。
◆「歴史修正主義」の怖さ
虐殺があったか、なかったか。結論がはっきりしている話なのです。みなさんの身の周りでもし「朝鮮人の虐殺って、本当はなかったんでしょ」と言っている人がいたら、その人は信用できないと考えていいです。思い込みに惑わされてしまっている方です。
「虐殺は事実だった」と「なかった」を両論併記し、「いろいろな意見があります」とは決して言ってはいけません。事実が相対化されて、「一つの意見にすぎない」と矮小化されてしまいます。これは本当に、亡くなった方に対する冒とくなんです。これが「歴史修正主義」の怖さで、虐殺や戦争は防げなくなるのです。
私たちメディアも、両論併記することは避けなければなりません。2つの意見があったらきちんと採り上げるのは僕らの原則なんですが、「フェイクとファクトを並列することは、職業倫理に反する」と思っています。
◆小池百合子都知事に大きな責任
こうした風潮を助長したのは、小池百合子都知事が追悼メッセージを取り止めたことです。そして「震災100年」の当日、碑の撤去を求めている人たちの集会を、東京都が碑の前で許したことです。混乱の責任は、一義的に東京都にあると私は思います。
こうした混乱を繰り返さないために、きちんと事実は認めていかなければいけない。これは「反日」とかそういう話じゃないのです。日本を愛すれば愛するほど、将来にわたって日本がきちんとありたいと考えるならば、過去のことをきちんと認めること。
それは歴史に恥じることでも、国を愛する気持ちに恥じることでもないと思います。気持ちが先んじて、「願望」を事実と思い込んでいる人が増えていることは非常に危険だ、と私は現場に行って思いました。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。